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「課題の分離」自分らしい人生を歩むために、知ってほしい考え方
大ベストセラーとなった『嫌われる勇気』。この中で、特に「課題の分離」について取り上げたい。わたしはこの考え方を知って生きるのが楽になり、納得感を持って日々を過ごすことができるようになった。
ただし今回は「課題の分離」の説明もするけれど、同時に”「課題の分離」をあえてしないことがあってもいいよね”という話もする。ぜひ読んでみてください!
「課題の分離」とは
『嫌われる勇気』では、
なかなか勉強しない子ども/その子どもの親
を例に出し、「課題の分離」について説明している。
もし自分が親だったら、どうにかして子どもに勉強させようと思う。しかし「勉強する」というのは子どもの課題であり、親の課題ではない。
勉強することは子どもの課題です。そこに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。……われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。
他者の課題には踏み込まず、自分の課題にも踏み込ませない。これがあらゆる対人関係のトラブルをなくす上で大切なのだとアドラーは言う。
ただ、誰の課題かを判断するのは少し難しい気がする。親は子どもに教育を受けさせる義務があるから、勉強しない子どもをどうにかするのは親の課題でもあるのでは? と感じてしまう。
アドラーは、誰の課題かを見分ける方法は「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えることだと言う。先の例でいうと、勉強しなかったことで困るのは親ではなく子ども。だから子どもの課題だよね、ということだ。
「他者の課題」とわかりつつ「自分の課題」にしたいもの
「課題の分離」を説明する上で、先のように「子ども」と「親」の例を挙げることに対して、少し複雑な感情を抱いてしまう。
まず、子どもが勉強しなかったことで困るのは親も同じなのではないか。たしかに進学や就職をするのは子ども本人だが、経済的自立を遂げるまで子どもを金銭的に支えるのは、大半は親である。
決して責めているわけではなく、事実としてそうだよね、ということを述べると。
中高大すべて国公立を選んだ人/私立を選んだ人
ストレートで進学した人/浪人した人
やはり、かかる費用は大きく変わってしまう。
就職先についても給料は異なるし、その結果親に恩返しできる額も変わってしまう。恩返しの費用+介護の費用を考えると、子どもの課題と親の課題はイコールになることもあるのではないかと思う。
ただしこれは、わたしがそうしたいと決めた結果である。
わたしの進学先や就職先は、わたしの親にも影響する。
=それらに関するわたしの課題は、親の課題でもある。
もちろん自分だけの課題も数多く存在していて、それは親の課題とは分けて考えている。
まとめると、親をはじめ大切な人に関しては、
”「他者の課題」だけど「自分の課題」にしたいこと”
があるのではないかと思う。
納得してその選択をするのであれば咎められることではないし、そう思える存在がいるのは素敵なことだなぁと思うのだ。
とはいえ、やっぱり「課題の分離」は大事だよ
「バイトのシフト減らしたいけど、わたしがいないと回らないかも」
「やりたくないけど、頼まれたから他の人のタスクもやらなきゃ」
「◯◯さんにメッセージを送りたいけど、迷惑だからやめようかなぁ」
上記はすべて「課題の分離」ができれば楽になる。
3つ目に関して詳しく言うと、コンタクトを取りたいなら取ればいい。どう受け取るかは相手の課題であり、忙しかったり返信したくなかったりしたら返信がない。それだけである。
ただだからと言って、相手のことを考えずになんでもしていいというわけではない。人として、最低限の礼儀と思いやりは持ちつづけたい。
おわりに
まとめると、わたしなりに思う「課題の分離」をうまく自分に取り入れる上で大切なのは次の2点である。
・あえて「課題の分離」をしないことがあってもいい
・傍若無人に振る舞わず、礼儀や思いやりは忘れずに
以下のnoteでも「課題の分離」に触れたので、よかったら見てみてください〜!
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