うえのその1

自分発!友人認定のススメ

こんにちは!会社員をやりながら、兼業でフリーランス活動をしている、アババと申します。「アババ」というのは趣味でやっているDJとしての名前でして、不思議な響きがあって自分としてはこの名前が気に入っているので、ここでもアババとして書かせていただくことにしました。

私は学校で建築を学んでいたこともあり、現在は空間の設計や、場づくりに関わる案件に日々取り組んでいます。
この度は、場づくりの領域でご縁をいただいた社会福祉法人 基弘会さまにお声がけいただき、投稿の機会をいただけることとなりました。乱筆で恐縮ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。

早速ですが、今回私が書くテーマは「友人」です。
私は仕事柄さまざまな世代、領域の人とコミュニケーションをとっています。私は本当に人が大好きで、知らない人と話すのも全然OKですが、実はどちらかと言えば恥ずかしがり屋、人見知りで目を見て話すのも苦手なくらいの人間です。

そんな私ですが、人との出会い、友人関係が人生をとても豊かなものにしていると日々実感しています…が、そのような、ある意味で当たり前の話をしたいわけではありません。
タイトルにもありますように「自分発」をキーワードに、改めて友人というものに考えを巡らせてみたいと思っています。

そもそも「友人」の定義って?

早速ですが、あなたには友人と呼べる人はどのくらいいますか?そもそも友人ということばを思い浮かべたとき、あなたは何人の顔が思い浮かびますか?
「知人」はいるけど「友人」は少ないかも…と思ったことはありませんか?
また、大人になって「友人」なんて作れない、なんて思ったことは?

私は時間さえかければ相当な人数の顔を思い浮かべることができます。
それは、私が友人が多いと言っているのではありません。どちらかと言えば、私が「一方的に」友人だと思っている人をたくさん思い浮かべることができるというだけです。

長く人生を過ごしていると、あなたが「友人」であると思える人を思い浮かべたとき、「最近会っている人」「学生時代も含める人」「仕事関係の人は含まない」など、いつのまにか分けて考えている人もいるのではないでしょうか。

もしくは、「友人」というと、悩みごとを相談できたり、苦楽をともにした…など、深いことを連想したり、更には、相手にとってはきっと自分なんてたくさんいる「知人」の一人くらいに違いない…と思ってしまうこともあるかもしれません。


もちろん友人の定義についてどう考えるかは人それぞれで特定の正解があるものではないでしょう。
しかし、今回考え方として、重要なのは「“自分が”どう思っているか」ということなのです。
特に「相手が自分をどう思っているか」は気にする必要はありません。

自分自身が相手を「友人」だと思えたら、もうその人はまぎれもない友人の一人だと思って全く構いません。
なぜそう考えるかというと、単純にそのほうが「自分の人生を豊かにする選択肢と可能性が広がる」からです。

友人が多い(と考える)と得すること

「自分の人生を豊かにする選択肢と可能性が広がる」というのは、一見難しいことのように思えるかもしれませんが実はとてもシンプルなことです。
例えば、あなたが新しいことに興味を持ち、それに対しての理解を深めたり趣味にしようと思ったとき、どうしますか?

インターネットで情報収集する、本屋や図書館で本を読む、とりあえずやってみるなど選択肢はいくつかありますが、私の経験上、一番手っ取り早いのは「知っている人に聞く、教えてもらう」です。

このとき、例えば会ったことのない人(著名人やプロ)に突然聞くのはもちろん難しい話だと思います。しかし、友人であれば声をかけて聞いてみることが可能です。
その分野に詳しい友人でなくとも、話すときに「そう言えば最近、○○に興味があって〜」と話題の端にいれてみましょう。そうすると、「それなら■■さんが詳しいよ」といった情報を教えてもらえたりします。


ここまでの流れで一番大事なポイント、それは「起点はあくまでも自分である」という意識です。
自分が興味があること、趣味にしたいこと、豊かな生活を送りたいこと、それらは自分の中で考える分にはどのように思っても自由ですが、一方で、外に発しない限りは、周りからは気づいてもらえませんし反応はもらえません。

とはいえ、そこを歩く人に突然声をかけるわけにもいきません。そこで、「友人」の存在を活かすのです。このとき声をかけられる相手の数が多いことが大事なのですが、それ以上に大切な考え方は「友人(と少なくとも自分が思っている人)に対して、自分が起点となって話題を開始する」ことなのです。

少し話が変わりますが、私の「友人」の話をします。
彼はアーティストで、ギャラリーで活動を行う場合は年に数回独自の展覧会を実施することがありますが、その友人はインターネットが充実したこの時代でも毎回必ずチラシやポストカードを作って、一度でも交流のあったギャラリー等にはもれなく送付するそうです。

実際どの程度作業や金銭コストに見合った内容か、疑問に思って聞いてみたのですが、
「このチラシを見て来てくれる人は殆どいないと思います。どちらかというとギャラリーへの活動報告という意味合いが大きいですね。そのギャラリーで展示をやらない限りは疎遠になり、向こうも特に僕のこと意識することはないだろうと思うのですが、こうして定期的に『私は今こうした活動、展示をやっていますよ』というお便りを見てもらうことで、少しでも自分の存在を残してもらい、何らかの展示企画のときに、自分を思い出してもらえるきっかけになれば良いと思っています」と語っていました。

この話は個人的にとても印象的なものでした。まさに自分が起点となって「話題」を提供することで、自分のことを気に留めてもらい、然るべきときに「思い出してもらい、声をかけてもらう」備えを行っていたと言えるのです。


アーティストにおいては「展覧会のフライヤー→ギャラリー」という図式ですが、これは個人にも置き換えられると思うのです。
その場合は「趣味、興味、関心の話→友人」という関係になるでしょう。
このとき、矢印の先にいる友人が多いほど、「自分の人生を豊かにする選択肢と可能性」は当然高くなります。

相手の本心は自分にはわからない

うえのその2

ここで、冒頭の話に戻りますが、もう一度「友人というのは自分が一方的にそう思っていればいい」についての話をさせてください。

私は、性格として相手の心を気にしすぎるきらいがあり、「嫌われてないだろうか」「僕は友人だと思っているけど、向こうはそうは思っていないんじゃないだろうか」と悩んでいたことがあります。今でもある意味悩んでいます…苦笑

でも、実はその悩みは悩むだけもったいないということもわかっています。なぜなら、「究極、相手の本心は自分にはわからない(逆もしかり)」からです。

もちろん、人づてに自分のことをどう思っているか、を聞いたりすることで何かはわかるかもしれません。でも、その人にも本心を語っていなかったら?と疑いだすと、結局きりがないことがわかります。
であれば、有限な人生において友人かどうかを悩むのであれば、自分のほうからしきい値を下げて、友人と思い、気軽に連絡をしてみればよいのです。

自分以外の他人は基本的に普段はあなたに興味がありません。友人関係とはいえ、毎日あなたを思い出すようなことはまずありません。こちらからきっかけを与えることで、会話がはじまり、交友がはじまるのです。


自分だけの「友人基準」を見つけよう

うえのその3 (2)

結論として「友人と思える人を増やそう」というのは、「気軽に連絡を取れる人をふやそう」ということとほぼ同義なのかもしれません。気軽に連絡をとれることが無用なストレスをへらし、時間を節約し、気軽に他者との交流が行えることが、結果として日々の生活にさまざまな彩りを与えてくれると思っています。

繰り返しますが、その鍵は自分自身のマインドから。私は自分が決める「友人基準」として、例えば「一度でも一緒に、1対1でごはんを食べた経験があるか」というのを入れていたりします。

これは学生時代の寮生活を踏まえた私自身にとっての実体験があり(同じ釜の飯を食う、という言葉の意味のとおりですね)、その敷居を下げたカタチとして「一緒にごはんを食べた経験」があれば、もう友人として、気軽に連絡しよう!と思うようにしています(もちろん“親しき中にも礼儀あり”ですが)

読者の皆様も、自分のこれまでの人生を振り返り「友人基準」について考えてみませんか?辞書の意味や思い込みにとらわれる必要はありません。

そして、そのとき浮かんだ基準を少しだけ下げてみたり変えてみると、思いも寄らない人が「友人」として、あなたの交友関係に入ってくる可能性が高まります。あとは「自分起点」でメッセージを送るだけです。

個人的には、昔友人だった(とその時まで思っていた)人にメッセージを送って、思っていた以上の返信が来たときのあの嬉しさと止まっていた時間が動き出した瞬間がとても好きです。

実際、こんなことがありました。
ある日、駅のホームで電車を待っていると、降車の人の中に、見た顔の人がおり、とっさに声をかけてお互い声と目を見合わせたものの、すぐに扉が閉まり発車した、ということがありました。
その人は、過去の職場時代に一度、打ち合わせがてらご飯を食べたことがある人で、当時は仕事関係の人、という程度の意識でもありましたが、今は私の立場も変わっています。懐かしさ、だけでなく偶然出会ったその嬉しさもあり、帰宅後、何気なしにメッセージを送ってみると、向こうも同じような気持ちを持ってくれていたようでした。
後日、そのすれ違った駅前でご飯を食べることとなり、当時の話から現在のお互いの状況まで、色々な話題に花が咲き、結果、今の仕事の一つを手伝ってもらえる人を、その「友人」から紹介してもらえた、という事実につながりました。
もちろん、この方とも、お互い一定の利用頻度のある駅ということで、たまの飲み友達として、当時とはまた違う友人関係がつづいています。

電車で偶然見かけたとき、そのまま流すこともできたと思いますし、何かと忙しくしている現代社会では、そのほうがむしろ当たり前かもしれませんが、そこから一歩、本当にちょっとしたことでも良いので踏みこんでみる。そうした出来事のひとつひとつの積み重ねが、自分自身の人生をより豊かにしてくれていると思っています。

この記事を読んだ皆様が、様々な人達との交友が広がり、他者の世界が広がっていく、そんなきっかけになれば嬉しいです。

Text by アババ(フリーランス:企画デザイナー)



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