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眠らない天使

先生がはなまる描いた時のペンの音を覚えてる。その音がもうビートになっていて、脳裏に刻まれている。

過去の現象を断片的にだが異常に覚えてる。それだけありありと発光していた時間があった。幼少期、少年期、青年期、そして今も。背中に抱いてたあの夏の入道雲が現在地点で雨を降らす。消えた年月は土に重なりあくびをする。四季が芽生え、誰かがそれを歌にし、また別の誰かが何千キロも遠くで口ずさむ。


子供の頃に描いた絵にはいつも日付が書いてあった。

「継続は中断と再開の繰り返しだ」
千葉雅也のその言葉通りに2024.2.12などと絵の裏側に記す。時間が動いていく。流れている時間に準じて公転を続けるのではなく、自分の時間を自分で動かす。自転させる。漕ぐ。耕す。

自分が生きてきた過去、見てきたもの体験したこと、記憶に残るすべてを温めたまま今に繋ぎ合わせる。過去はあたためてる限り色褪せたり経年劣化したりしない。切断はいつ何時もされていない。接続している地続きの時間を可視化させる為にあたため続ける。そのぶんだけ皮膚が薄くより感じやすくひりひりとする。過去と現在を同時進行で前に進めている感じがとても心地よい。そんなひりひり感。

苦し紛れに放った一発一発がその時なんてことないただの雑念の固形物に見えようと、とにかくその場所に生み落とさなくちゃいけない。苦しい。苦しい。苦しい。その一発一発を残す。音も言葉も。筆を落として心の揺らぎをなぞる。何度も何度も。

夕暮れに透き通るススキの穂が綺麗で、峠の中腹に生えていたものを剪定バサミで摘み取り、ガラス瓶に挿した。汚れた服を脱ぎ捨て、風呂上がりのビールが喉を潤す。帰るべき場所へ帰り、またどこかへと向かう。

いくばくかの不安を抱え、抱えきれない程ではないから絶妙に忘れ、また思い出す。思い出させるなにかがそのきっかけを与えてくる。それは午後5時のチャイムだったり、知り合いからのライン通知だったり。

下世話の集合体で形成された過去最大規模のノイズグループ『ソーシャル・ネットワーキング・サービス』、通称SNS。それは主幹を持たない蔓や芝の根の如く接続と切断で縦横無尽に拡がりを見せ、時にいびつなグルーヴを生み無関係な他者に命を落としかねない致命傷を負わせる。

君は。君は。そのあなたは。幼稚園の時があんたんだろうね。カレンダーをめくったんだろうね。靴紐の結び方がまだわからなかったんだろうね。ともだちのつくりかたがわからなかったんだろうね。コアラのマーチが好きだったんだろうね。なわとびがうまく飛べなかったんだろうね。まがまがしたそのエネルギーの排出する手立てを身に着けられなかったんだろうね。かわいそうに。

それはあなたの弱さ。あなたの苦しみ。暗闇で体育座りの小さく丸まったいのち。嫌いになる理由なんてないのに「嫌い」とか「死ね」という言葉の上にしか成り立たない存在になってしまって、それが当たり前になってしまって、風呂場の蛇口をひねってもお湯さえ出ないんだろ。

声が聞こえる。言葉にならない声が。命からがら生き延びたとしてもその手応えのなさに「そのまま消えてしまえばよかったのに」と目を閉じる。

パターンからの逃避行。パターンから逃げてみる。怖いか。怖くない。人生は裏か表かじゃない。白か黒かじゃない。その何色ともつかない贅沢でナンセンスな曖昧さを愛すのだ。何度も何度も。その曖昧さにキスをして、その曖昧さを舐め愛撫するのだ。愚かさは美しい曲線。先の見えない首都高のブラインドコーナーのような曲線、それはあなたが心で描いた曲線。記憶の中の少年。追憶の中の少女。おねしょして朝が来て。
全部許してしまえ。


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