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自分のためのセレモニー 〜断服式〜

わりと真剣に断服式(手放す服を決める儀式)に取り組んでみた感想です。

※ヘッダーの写真は3月に行ったヒグチユウコさんの展覧会で撮ったもので、本文と全く関係ないですが、かわいかったので貼ってみました✌️

さて、断服式をしてすごく感じたのは、服を手放すには多大なエネルギーを要するということ。。

まだ着れる服を手放すことには罪悪感がある(今まではほとんど感じていなかったのに、ファッションに真剣に取り組むようになってからすごく感じるようになった、、)。なので、フリマアプリに出したりするわけだけれど、その手間に対しては物理的なエネルギー、つまり時間と体力がいる。もっといえば、服を作るのにも処分するのにも環境に負荷がかかっているわけだし…。

加えて、服には思いがけず色々な思い出や感情などが染み付いていて、そういった「自分の一部」みたいなものとともにあるものを手放す決断をするのはなかなか精神的エネルギーがいることであった。
だから、ただクローゼットを整理するというだけではなくて、やはり断服式という「セレモニー」が必要なのだろう。次のシーズンの自分のために、自分で自分の区切りをつけるという。
なんだか、入学式とか成人式とか、そもそも「儀式」がある意味が今ようやく少しわかった気がする。自分なりの理解だけれど、儀式とは、その儀式そのものをとおして区切りを可視化することにより、私たちの心が区切りをつけられるように促して、スムーズに次に進めるようにするためのものなのかな、と思う。

そんなことを考えていると、やっぱり服は少ない方がよくて、それもごみにせずリセールできるようにお気に入りで大事に着れるようなのがよいのだろうなあ…と思った。そして後ろ髪を引かれる自分の心のために式典大事。

ところで、服としてはもう着ないけれど、生地がかわいいので布として活用しよう(巾着袋とかテーブルクロスとか作る布として使おう。)と決めたものもあって、そう決めた瞬間には嬉しい気持ちが湧き上がった。手芸は楽しい。かわいい布があるともっと楽しい。
生地が好きな服を買うということは非常に重要なポイントである!!というのも大事な気づき。

それから、実用的なものとして、「メルカリで服を買わない」「ポリエステル100%の服は買わない」という気づきもあった。

断服式、思ったよりだいぶ奥深かったなあ…

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