見出し画像

ネタバレいっぱい海神再読第四十五回 番外★かつてCD付録に収録され幻となってたのが「十ニ国記30周年記念ガイドブック」に収録された短編「漂舶」ネタバレ再読★「漂舶」読んでない方は絶対読まないでください。

祝!「漂舶」収録のガイドブック2022年8月25日発売!
ガイドブックに入るからには加筆修正があるかもしれないぞ!と、盛り上がったものでしたが、大きな変更はなかったような。しかし幻となってたのが本屋の店頭に並んだのは実にめでたい!(まだの方はぜひ!)
というわけで、短編「漂舶」のネタバレ再読します。「漂舶」は海神の公式続編ですからね。
「漂舶」の他にも、文庫に入っている十二国記はすべてネタバレ対象としてますので、読破中の方はご注意ください(今現在文庫に入ってないのにはふれませんのでご安心を)。

前置きとして、私の読みはかなり変わってます。
こんなことありえないと思った方には申し訳ありません。でもこの読み方だとパズルのピースみたいにはまるんですよ、「漂舶」が「海神」に。ですので、そのつもりで読んでみて、なにこれ?と思ったら、note内の他のネタバレ再読も読んで頂ければ幸いです。

●あらすじその1:大元四年(海神から九十一年後)、尚隆と六太は三官吏の罠にかかり、仕事に勉強に追いまくられる日々を過ごしていた。尚隆と六太は協力して王宮抜け出しを図る。

王は一週間休みなし? いやいや書経を写したりは本来は自由時間に自主的にやるものなんでしょう。
三官吏の雑談、いつぞやの謀反で台輔の角を封じた石って赤索条だよね。あれが軽口のネタになるほど時間が経ってるんだ。
尚隆は六太に出奔の協力を頼む。
ここで尚隆が「ちと、訪ねたいところがあるんだ」「この頃にまた来ると、約束してあるのでな」と言い、六太が、さては女か、と思うところがなんとも。尚隆がいやいや義務を果たしに行くんじゃなくて、行きたがってる顔だったってことだよね。

あらすじその2 :六太は黄海の入口令艮門に行き、更夜あての高札の番人に下された命令を聞く。

●尚隆は何故更夜に斡由の墓を教えようとしたのか?

黄金色の大地の描写から秋で雨期目前の時期ということが語られる…情報のちょっとづつ出しが巧いんだなあ。
令艮門の高札は大元元年に尚隆が更夜に約束の成就を伝えたもの、それは六太も知ってたけど、番人に下された命令を聞いて驚く。
更夜が現れたら丁重に県城にお連れしろ、は六太が靖州侯として下したものだけど、断るようなら霄山に冢墓があると伝えろ、が付け加えられていた。

これ、付け加えたのは尚隆だよね。次のパートで明らかになることだけど、霄山の冢墓とは斡由の墓のことだった。
雁で堂々と妖魔とともに暮らせるようになって、なお更夜が王宮へ来ることを拒むかもしれない、その場合でも斡由の墓のことは教えたい、てことだよね。
尚隆は何故そんな命令を付け加えたのか。
海神を普通に読んだ人は、更夜が六太に会いに来ないわけないし、斡由は悪い主だったからそんなの思い出させようとするわけない、と思ったのではないですか?
つまり、普通じゃないことがおきてるんだよ、この話。
あと、尚隆が追加の命令を六太には隠して出した、というのも、二人の関係性の複雑さを暗示するようである…

あらすじその3:霄山近く碧霄の里の妓楼で、尚隆は妓女の湘玉に霄山の墓に葬られてる斡由のことを語る。

●尚隆は斡由についてどう語ったか?

尚隆は風漢と名乗って半年おきに霄山に登りに来ている。
霄山には斡由の墓がある。ここで初めて斡由の名が出て、斡由が物語の隠しテーマなことがはっきりする(…んだよね?私はそう思う!)。
墓があることと斡由が逆賊の悪人だということは湘玉も知っている。
湘玉と尚隆は斡由について語り合うんだけど…

尚隆がこんなに自分の考えを語ることって珍しいんだよね。
にもかかわらず、漂舶を語った二次とかで、この部分に突っ込んでるのって読んだことがありません(私が知らないだけかもしれませんが)。何故か。わからないからではないでしょうか。尚隆が何故斡由について熱心に語ったか。何故墓を造ったのか。何故、同時期に亡くなった驪媚でも亦信でも赤子でもなく、斡由の墓に百年近く通い続けているのか。
普通の読みの斡由は褒められたいだけの偽善者で、追い詰められたら臣に罪を擦り付けようとした卑怯者で、せっかく尚隆が死罪を免じてやろうとしたのに後ろから切りかかった莫迦な屑でしょう? そういう斡由像と尚隆の言動が合わない。尚隆が情け深いにしても、憐れむというより褒めてるように言うのは理解できない、だからスルーされるのかなと思うのです。

しかし!私はこの部分についておおいに語りたい!
ここで私のスタンスを述べますと、私は斡由推しです。斡由は元州諸官特に更夜を生かすために自分の首を尚隆に取らせてて、尚隆だけがそう理解している、てのが海神の真相だと考えてます。これについては海神再読の特に八章2で延々理由を書いてますので、よろしかったら御一読を。
そんなふうに考えだしたのは「風の万里」の後ごろで、それからずっと自分以外の誰かが斡由について語ってるのを読みたかったんですけど、やっと出会えたのが公式!それも尚隆!ありがとう小野先生そして尚隆!
そんなわけで、尚隆が一般人湘玉相手に斡由を語るこのシーン、尚隆が他人と思えなかったです。湘玉は斡由、全面否定なんだもの。

①湘玉)元伯(=斡由)はとんでもない悪人だった。元侯を殺して(講談ではそうなってるらしい)、元州を好き勝手にして、謀反を起こした。
⇒尚隆)斡由の父は梟王という災厄を乗り切れる器ではなく、父が梟王に加担して民を虐げたことを思えば、斡由は災厄をとりのぞいたとも言える。
⇒湘玉)でも罪は罪でしょ?

「元州を好き勝手にして」って、実際は五十年近く荒廃と戦ってたんだけど、講談では語られてないらしい。湘玉も民なんだけど民の命を守るより罪を犯さない(上長に反抗しない)ことを重要視する。梟王の暴虐なんて昔のことだから関係ない、ってとこかな。

②尚隆)もうひとり腑抜けた父を持った男がいた。父は災厄を乗り切れる器でなく男もそうわかっていた。男は罪を犯さなかったが災厄で所領は滅んだ。
斡由と、罪人になることを恐れて父を生かし民を死なせたそいつと、どちらがましだったのか。
⇒湘玉)斡由ではない。そういう罪を恐れない人だったから、大逆なんて大罪を犯したんでしょう?

尚隆はかつての自分と比べて斡由を弁護する。上長に反抗せず民を死なせる方が正しいのかと。湘玉は上長への反抗が大逆という大罪に通じたのだから、反抗しないのが(民は死なせても)正しいとする。
湘玉にとって約百七十年前の王の圧政は些細なことなのか。それとも常世人に、上長の命令はたとえ理不尽に民を殺すものであっても従うべきだ、正しくなければ天が上長を除くのだからそれを待て、という考え方があるということなのか。
ただ、小松尚隆が正しかった、とするこの考え方に、尚隆は納得してないんだよね、自嘲するように言ってるんだから。それに万里からすると常世人全員がそう思ってるわけでもない。
尚隆はさらに反論する。

③尚隆)斡由は領主でない己には値打ちがないと思い定めていたように思う。謀反を起こしたのも玉座が欲しかったわけではなく、自分の上に新王があればじきに領主でいられなくなる。だから王の上に立たなければならなかったのではないかな。
⇒湘玉)分からないわ。

斡由の大逆は玉座を求めてのものではなく、あくまで元州の領主であり続けるためのものだった。尚隆さま、私も同意見です。対して湘玉は分からないという。湘玉にとっては大逆の理由は考えることじゃないのだな…

④尚隆)斡由は良き領主でありたかったのだと思う。そして斡由は自分の望みに対して迷いがなかった。だから罪人になることを恐れなかった。
⇒湘玉)要は、褒めてほしかっただけじゃないの?
⇒尚隆)それでいかんか?美名を求めて善行を民に施す。内実はどうあれ民は潤い斡由も潤う。
⇒湘玉)それはそうだけど。

「どうせ褒められたかっただけ」ありとあらゆる善行を卑しいものにできる魔法の言葉。あまりに便利なんで用心しないといけない言葉だと思う。「褒められたい」というと醜く聞こえますが「評価を求める」なら普通のこと。例えば尚隆が湘玉に評価されるのを避けるために、湘玉への借金を踏み倒したら、湘玉も困ると思うんだけどな。
まあ湘玉としては評価に値するあらゆる行いを否定したいわけではなく、斡由という悪人をほんの少しも認めないために魔法の言葉を使ってみただけかも。だから尚隆に真っ向から反論されるとしぶしぶ認めざるを得ない。

⑤尚隆)斡由は美名より領主としての自分を守らねばならなかったが、美名だけを貫けたなら、王としてこれほどの人材はなかったかもしれぬ。
⇒湘玉)とんでもないことを言うのね。大逆をしたということは王が別に居たからで、ということは斡由は王の器に足りなかった。斡由には何かがかけていた。でなければ台輔は斡由を王に選んでいたはずだもの(実際は選んでない⇒斡由は王の器でない)。
⇒尚隆)なるほどな…

ここはちょっとわかりにくいところ。

「美名より領主としての自分を守った」…うんうん領主であり続けるために莫迦なことやったよね。で美名を捨てて領主をまっとうしたよね…

「美名だけを貫けたなら」…どういうことだろう?王に反逆せずに民を虐げる命令を無効化する?思い出すのが驍宗の轍囲の策で、王に抗議する民を傷つけず、王の命令も果たした。ただ王命が民の処刑そのものだった場合、これはむずかしい。それとも元侯幽閉以外の誤魔化しをしないで、白沢たちに真実を打ち明けてたらってこと?

「王としてこれほどの人材はなかったかも」…って尚隆、これ常世じゃ最高級の褒め言葉では? 少なくとも尚隆だけは斡由を屑とは思ってないってことですよ。
しかし斡由が王に向いてたかは疑問だったりする。斡由は天=王=正しいの図式に乗らないでものを考えられるというのが最大の特徴で(私の一番好きなとこだったりする)、そういう人に常に王だから正しいといわれる立場は苦しいのじゃないかな。そういう図式に頼る気持ちを理解できる尚隆のほうがむいてるんじゃないかな。
あと斡由は荒廃と戦って元を守ることで自分を育てたと思うので、そういうの抜きの斡由はどうかなーと。

さて、対する湘玉の反論は、要するに斡由は王じゃないから正しくなかったということ。
王は天に選ばれたがゆえに正しい、麒麟が病んで天に見放されたとされないかぎり。生きてた頃の予王や祥瓊の父を考えると必ずしも正しくない、でも常世では根強い考え方なんだろうな。

湘玉は斡由を否定する。斡由が王ではなく、さらに王や元侯に反逆したから。何故反逆したか、反逆して何をしたかは考えない。王や王に指名された上長が正しければ最も効率的で楽な考え方。
尚隆は風漢と名乗っていて王だということを明かしてないけど、延王と分かったら、もっと斡由は否定され、尚隆は肯定されたろう。尚隆が王だから。
尚隆は王だから肯定される、言い換えると尚隆自身は見てもらえない。逆賊だからと否定される斡由と同様に。

最後の「なるほどな…」尚隆は湘玉の理屈を受け入れて、斡由が全否定され自分が全肯定されるとに納得したんだろうか? それとも常世の理屈がある限り民が斡由と尚隆に何故と問うてくれない、本人を見てくれないことへの嘆息だったのか。
私は後者だと思うんだよね。だって前者はつまり、小松の民を救えず一人生き残って延王になった小松尚隆は正しかった、ってことだから。尚隆は絶対それは認めない人だと思うから。

あらすじその4:六太は霄山に登り尚隆に会う。

●尚隆は何故更夜に斡由の墓のことを教えようとしたのか? そして何故自分でも訪ね続けていたのか?

霄山の寂れた園林の松林の四阿で、尚隆は酒を飲んでいた。斡由の墓は松の根本の塚に石をのせた和風のもの。つい最前水を撒かれたように濡れている、てのは多分酒を注いだんだね。

六太)約束があるっていうから、もっと下世話な約束だと思ってた。今頃だったと言うには早いけど、この山には雨期に入ったら登れないから降り出す前に抜け出したかったわけだ。

六太解釈では尚隆は斡由の命日に先立って墓参り、てことのようだけど、実際は半年おきに来てるんだからもっと頻度は高い。お彼岸?

六太)墓を作ってやるほどお前が斡由に好意的とは知らなかったな。
尚隆)それくらいはいいだろう。斡由は良い官僚を残してくれた。

白沢が国府にいるのは万里でも出てきたけど、元州諸官もみんな元気でばりばり働いてるんだね…最後の最後で斡由の命を惜しんだ元州諸官(海神八章2)。諸官の何人かはこの墓のことを知ってるんではないかと思う。でないと白沢とかがそのまま尚隆に仕えるというのが腑に落ちない。白沢は初めて尚隆に会った時、自分の君は斡由だって尚隆の勧誘をはねつけてるんだよ?(海神五章1)むしろ仙籍から抜けるとか言いそうだ。でも尚隆がこの墓に連れてきて、斡由について思うところを話したなら、斡由を理解し看取ってくれた恩人として、今度こそ最後まで支えようとしてくれてると思うんだ。更夜に墓を教えようとした尚隆だもの、それくらいやりそう。

尚隆)俺に弔われたのでは斡由も浮かばれまいが。
六太)化けて出たりして。
尚隆)出るぞ。古いのやら新しいのやら、俺に恨みのある連中が集まってくるんだ。

私は斡由に尚隆に対する恨みはなかったと考えてて尚隆もそれはわかってると思うんで、恨みを持つ死者って朝廷を改めた際に討った奸臣とか、あと小松の人々かな。小松の民や臣に尚隆への恨みはないかもだけど、守れなかった自身を恨む尚隆自身とか。

尚隆)だから、日が落ちる前に下りたほうがいい。

尚隆、笑って言うんだよね。明るく軽く優しく、だけど、さっさと帰れ、って。
六太はその笑顔を、ほんのわずか見つめ、そして頷いた。
六太も気づいている。尚隆には六太を入れない一隅があることに。

六太)尚隆はここでは、ひとりになりたいんだ。放っとこうや

ひとりって、斡由の墓なんだし、差し向かいで酒盛り、なんだけどね。
六太は尚隆を放って帰る。踏み込まない。更夜への伝言についても理由を聞かない。聞かないから長持ちしてる関係かなあとは思うけど、それでいいの?とも思う。延主従ってベストカップルというより割れ鍋綴じ蓋って気がする。踏み込まないから長持ちするけど、補うものは別にいるってことではないかと。

更夜への伝言だけど、更夜が斡由を失いたくなかったと思うようになる可能性があると尚隆は考えてるんじゃないかな。そしたら自分たちのいる王宮には来たくなくなるかもしれないし、そうであれば斡由の墓には参りたかろうと。
あと、ひょっとしたら、あの伝言は更夜だけでなく斡由のためでもあるんではないだろうか。斡由が最後に望んだのが更夜を自分の死の巻き添えにしないことだったなら、生き延びている更夜を見せてやりたいと…(わけわかめの方、ネタバレ海神再読八章2後半で延々説明してます…)

尚隆の方はね、斡由を忘れないために、思い出すために行くんだと思う。墓参りってそういうものでしょう? 斡由を、元州を守り通した斡由を思い出すことで、守れなかった小松と今度こそ守り通したい雁への想いを自分に念押しに行く。それは尚隆にとって嫌な辛いことじゃない。だって行きたいって顔してたんだからね。

あらすじその5:三官吏は王朝の行方について語り合う。

尚隆・六太にまんまと逃げられて怒り心頭の帷湍と成笙に対し、落ち着いてる朱衡。それは二人がそのうち帰って来ることがわかっているから。他に帰るところはないから。
神仙である以上、地上に帰るところはないから、国という船を走らせるしかない。王と麒麟であり、胎果であればなおのこと。船が走り止めるのは王が沈む時。つまり死ぬ時。それも逆賊もしくは天意に殺される死に方のみ。王には禅譲という自殺方法があるけど、それが許されるのは既に天意に見放された時だけのようだし。(月影八章2)
そんな終わりは悲惨なだけ、だろうか? 天意に見放され、努力は空回りし、己の醜さばかりが露わになり、ぼろぼろになって終わるにしても、それでも守りたいものを守り通して晴れ晴れと逝くことはできないものか?
尚隆が斡由を忘れまいとするのはそのためなんだと私は思う。
つまり、私の見ている斡由は「天意に見放されてぼろぼろになって殺される」を「自分の意志で自分の守りたいものを守り通して逝く」に力技で塗り替えてった奴なんですよ。尚隆もそう思ってるとしたら、斡由にも、あのかなりぼろぼろなけしからん一面を持つやらかし野郎にもそうできたってことは、尚隆にとって物凄い励みになると思う。
かつて小松という沈みゆく船から一人だけ降りて生き延びてしまった尚隆は、今度こそ最後まで雁という船を走らせたい。力尽きて自分が沈む時も、船は自分をおいてでも走り続けさせてやりたい。それは寂しくてもけして不幸なことじゃないよ、と励ましてほしいんだよね。

いまの私はそういう話だと「漂舶」を読んでいるのですが、今後のシリーズによってはこれはひっくり返るかもしれません。でもいまの「漂舶」の読みは残したいんで、書きました。

尚隆の台詞「俺は斡由をよく知るわけではないが…」尚隆は斡由のこと、ずっと考えててくれたんだよね。斡由が何をした何者なのか。私も考えてたよ。これからも考え続けるし、他の人にも考えて欲しいのです。だからみんなが「漂舶」を読めるようになるのが本当に嬉しいし、楽しみです。

以上、「漂舶」再読でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?