ネタバレいっぱい海神再読第二回 序章.何故このタイトルになったのか?
あらすじ:虚海の東と西とで子供が親に捨てられた。
●東のこども西のこども
…てのが海神のタイトル案だったそうです(1994/3/30発行「京都私設情報局 通信第8号」より)。つまり、二人のこどもが出ることは初めから決まってたんですね。
さて序章。東のこども、六太は親に捨てられるのを仕方がない事として許している。八章4の回想では小松が滅んだ直後の尚隆を、小松の全滅はお前のせいではないだろうと同じように許している。運命に抗わない姿勢は海神では一貫している。幼い六太が人ならぬものとして迎えられ、生き延びたのも運命。
一方、西のこどもはもっとこどもらしく、自分の運命も判っていない。このこどもが妖魔に拾われたのが物語のもう一つの核になる。
●東の海神西の滄海
で、実際のタイトルはこの様になりました。想像だけど、こどもたちの主の比重が増しすぎたんで、改題されたのかも?
私は六太の主の尚隆を海神の真の主人公だと思ってて、も一人の子どもの主である斡由ももう一人の尚隆というか、主人公なんではないかと思ってます。
斡由ってのは運命に徹底的に抗った奴なんだよね。だから斡由だけは六太に許されなかった?
尚隆は六太に許されて主になる。尚隆の片側には小松尚隆を仕方ないと許してくれた六太、片側に小松尚隆と類似した運命に抗ってきた斡由がいる、て構図じゃないかな。
さて、それぞれ人ならぬものに救われたこどもたちの運命は…