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ネタバレいっぱい海神再読第二十三回 五章3.「私もです、台輔」

あらすじ:現在、頑朴。六太と更夜、そして斡由は漉水を見ながら語り合う。

●尚隆は何故、漉水の治水の裁可をくださなかったのか

もうすぐ雨季。今年も治水は間に合いそうにない。漉水氾濫への恐怖が元州の民を謀反に追いやった、と六太はこの時点では認識してた。この恐怖をもたらしたのは尚隆。尚隆は漉水流域の元州の民の命を脅かす事で斡由を操ったともいえる。つまりこれも人質の一種?

●麒麟誘拐事件

六太誘拐の策を授けたのは斡由だと告げる更夜。更夜と斡由は共犯者なんだよね。

●民は数か?

斡由登場。王師が出撃した事を告げる。以下の問答はつまり、多数の命の為に少数の命を犠牲にする是非。
斡由は二章3の尚隆と同じ理屈を言う。戦乱と水害とどっちの被害を多く見積るかがそれまでの経験によって違ってるけれど。
六太は民は数じゃないと言うけれど、多数の為の少数の犠牲を拒むなら、誰も犠牲にしない、しかない。斡由に「降伏しろ、処刑はさせない」と言うとか。そうしないのは序章の様に自分も犠牲の理屈を受け入れてるからと、王への不信からか。つまり六太も尚隆を信じてない。自分が尚隆を動かせるとも思ってない。自分は無力と思って、ただ戦を厭うだけ。

六太)お前たちには分からない。血の臭いを嗅いで平然としていられる奴らには。

「奴ら」に斡由も更夜も、尚隆も入ってて、自分はそうじゃないと言う六太。
…ひょっとしたらこれも前知らせの台詞かも。六太自身に返ってくる台詞(八章4で説明します)。

しかし…斡由は民が数でなく命だって解ってないんだろうか?
五十年近く荒廃から民の命を守ってたのに?
荒廃と戦うってのは、災害にあった里の一つは州師で救えても同時に妖魔に襲われたもう一つの里は救えない、てのを繰り返す事だろう。
そういう場合に命を数で選んできた者を、少数を犠牲にしたと裁けるんだろうか?
誰かを救う為に別の誰かを見捨てるくらいなら、誰も救わなければ良かったのか。眼の前の命を見殺しにしながら全てを救ってくれる王をただ待てば良かったのか。前王が民の処刑を命じ現王が治水をさせないのに?
と、グルグルするのは斡由が荒廃と戦ったせい。戦わなかった事にしてスッキリさせたりしなかったのが海神の好きな処。

●「私もです、台輔」

ここらへん斡由はまだまだ余裕なんで台詞が多い。 尚隆は一人になっても戦おうとするぞと言われて答えた台詞。諦めるって事をしない奴だから。

斡由)真実国を治めるに相応しい方がおられれば、いくらでもお譲りする

と綺麗事を言ったり、

斡由)なるほど王は、ただ玉座に坐ってみたかっただけなのだな…。道理で政務を蔑ろにされるはずだ

と皮肉ったり。

この台詞、露台から下界の頑朴の街を見下ろしながら、なんだよね。首都である関弓より大きくよく整えられた街が愛しくてしょうがないという風情。王でもなんでもない斡由が道を踏みはずしてまで守った街なんだもの。
で、この台詞のちょっとがっかりした感じがね… 斡由は元々常世人である。で、色々違法行為をしながらも元州を守ってきた自負がある。梟王の次の王が真に聡明で斡由を理解し認めてくれたらと思った事があったとしたら、そんな虫の良い話はないと諦めてたとしたら…!

小松尚隆と元斡由は類似した人生を歩み、分岐点で違う方角を選択した、いわば分身だから、尚隆は斡由の父への反逆を理解するにはベストな王様なんだよね。この二人が居合せたのはまさに天の配剤だってのに、あんな事になっちゃって〜と思うとなんとも…である…と思ってたんだけど、ひょっとしたら尚隆の為にはこれがベストだったかもと思えてきて…(八章以後で説明します)。

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