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ネタバレいっぱい海神再読第二十七回 六章1. 驪媚は何故、赤索条を切ったのか。

あらすじ:頑朴城、六太が捕らえられた二ヶ月後、頑朴の西の山の向うに王師が到着した。
戦の気配に苛立って尚隆を貶す六太に、驪媚は牧伯に任ぜられた時の事を話し、三官吏とからめて尚隆の王として優れた面を語る。それでも王である尚隆への不信を捨てない六太に、宮城に帰るよう告げ、赤索条を剥ぎ取る。

●自己犠牲の是非

一般的には忠臣驪媚の感動的な自己犠牲…なんだろうけど、すみません、つっこみます。
私、実は自己犠牲による自殺てのが苦手で。そういうエピには反射的につっこんでしまう。本当に当人の意志に基づいてたか、とか、本当に必要かつ最善の策だったか、とか考えてしまう。
意志、てとこで、絶対に自殺しようという意志は持ってない赤子が巻添えになってるけど、これは斡由のズルさでもあって、赤子を人質に加える事で驪媚の自殺を牽制する気だったんではないか。
しかし驪媚は王の為ならと踏み切ったんで、斡由の負け…なのか?
赤子を犠牲にしても必要だと驪媚は判断したんだよね?
でも、あの時点での自己犠牲は必要だったのか?
七章1で噂された様に、斡由が六太の命を狙ってたなら解るけど、あの時はそこまでの状況ではなかった。
まあ斡由が王や麒麟の命を狙う状況になったら、驪媚が自殺出来ない様にするだろうから、まだ自由がきくうちに、予め、自己犠牲に踏みきった、のか?
あと、驪媚の自己犠牲が功を奏するには、六太が王のもとに逃げなきゃならないけど、肝心の六太が王に懐疑的。

●驪媚による尚隆擁護

驪媚は六太を説得する。
まず、一介の司刑の官だった自分に卿伯の位を与え、いざという時は命を捨ててくれと頭を下げてくれたこと。でも六太にはピンとこない。
ところで、あの時尚隆が驪媚に下した指令は、報告だけして指示以外は長いものに巻かれていろ、だったけど、この自己犠牲は指示によるものではないよね。
何故驪媚がそうしたかというと、その前の「命を捨ててくれ」に暗示されたのと、自身のトラウマに操られたのかな。
次に驪媚は六太に語る、三官吏の起用の巧みさから、尚隆がいかに王として優れているかを…人事小説だったんだな海神。
ここは説得力あったんで、四章1の斡由との舌戦でもこっちを持ち出した方がよかったんじゃないかと思った。
六太も「尚隆は暴君じゃない」「でも駄目だ、王だから」
ついに驪媚は六太の赤索条を剥ぎ取り、強引に王のもとへ行くよう仕向けようとした。
驪媚は麒麟である六太にも「王の正しさを信じる」と言って欲しかったんだろうか。

●王か?尚隆か?
 
ここで気になるのは「王」が「天意を受けた王」なのか「尚隆」なのかということ。
巧みな人事への誉めっぷりからして尚隆を敬ってるのは確か。
では同じく天意を受けた王の梟王の事はどう思ってるんだろう。
驪媚、帷湍、成笙は梟王の時代からの仙で、王に諫言した成笙、王に背かず道にも背かず綱渡りしていた帷湍に対し、驪媚がどうしてたかははっきりとは書いてない。四章1で斡由に突っ込まれた時も「…それは」と言っただけ。
ただ、驪媚は裁判を司る司刑の官だったんだよね。
つまり梟王が、王に不満を言う者は一族郎党皆殺しという法を作れば、従って裁く役だった訳で。諫言出来る程王に近くもなく、役から逃れられる立場でもなく。
尚隆が現れた時、今度こそと思ったんじゃないか。絶対の忠誠を捧げても大丈夫な王であって欲しい、そうある筈だ。麒麟にそう保証して欲しい、と思ったんじゃないかな。
海神のキャラは皆重い過去を負って、過去を違う様にやり直したがってる。尚隆が一番そうだけど、驪媚、帷湍、六太と斡由もそうなんじゃないかと思う。
驪媚と六太の問答は暴君のトラウマが正反対に反映した者同士の行違いで、大変悲劇的。どこが悲劇かって、相互理解に行きつけなかったとこが。

驪媚が赤索条を剥ぐシーンは怖い。それが驪媚と赤子の死を意味するだけでなく、驪媚が六太に王への忠誠を強制するシーンだから。
私は驪媚の自己犠牲を称賛することは出来ない。でも不器用な人だったんだなとは思う。作中一番不器用、かもしれない。

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