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ネタバレいっぱい海神再読第三十四回 七章4. 斡由が元魁を幽閉したのはいつか。その頃斡由はどんな状況におかれていたか。その状況から推察される犯行の動機は何か。

あらすじ:六太は地底で元州侯元魁の話を聞く。斡由はかつて父である元魁を幽閉し、影武者を使って命令を偽装していた。元魁は言う、斡由は元州が欲しかっただけだと。かつて下僕に弓の失敗を押し付けたように、自分の過ちを他者になすりつけるような屑だと。六太は気づく、あの老人が影武者だったのだと。影武者をやめたいと斡由に歯向かったので幽閉されたのだろうと。

●斡由は屑か

私は斡由を屑だとは思っていません。なぜか。五十年近く荒廃と戦ったから。「荒廃とよく戦っ」て民を守った人間の屑、は言葉として変だと思うから。屑な面があるにしても一方で荒廃と戦うという善行を行った、善悪両面を持つ複雑なキャラクターで、そういう斡由が何者かを知りたいから。
というわけで、斡由のやったことの理由を考えていきます。

●斡由と元魁と三人の州侯

(前にも書いたけどまとめとして)
斡由が元魁に反逆したのは、梟王が治世の末期、民の虐殺を命じていた頃。王命だから仕方ないと民を殺そうとした元魁に反対して…なんだけど。
元魁によると斡由の要求は
①斡由を州侯にしろ
②元魁は王になれ
だったけど、①はともかく②にはちと腑に落ちないところがあった。
梟王が生きてる内に麒麟が元魁を王にするわけないから、これは謀叛を起こして王を討てということだろう。しかし、四章4によれば梟王の時代、王師は75,000、元州州師が州師としては多い四軍で30,000、つまり元州は単独では王を討てない。なんでそんな無茶をふっかけたのか、と。
しかし今回の再読で気付いたんですけど、一章1によると梟王は心ある州侯を殺している。二章3によると殺された州侯は三人。この三人の州の州師が州師としては少ない15,000としても合わせて45,000。元州を合わせたら75,000で王師と同数になる。三州侯の州師によっては上回ることができる。
つまり、②は元魁も三州侯の謀叛に加わって王に勝って、そののちは最も多くの兵を出したものとして一種の仮王になれ、とそういう意味ではなかったか。
そんなことができるのは州侯のような権力者だけ。元魁が嫌だと言うなら自分がやる。俺を州侯にしろ…というのが①だったと。
これで斡由が元魁を穴に落とすなんて荒っぽいことをした理由もわかる。時間がなかったんだよね、三州侯が討たれる前に元の実権を握って三州侯に加勢しようとした。
さらに、実権を握った後、斡由が梟王を討つためにたたなかった理由もわかる。先に三州侯が討たれてしまったんだ。斡由は間に合わなかった。元だけでは王に敵わない。斡由は自分の州を守るしかなくなってしまった…
これはホント想像なんですけど、王師と州師の人数設定があまりにぴたりとはまるんで。小野先生は1の設定の後ろに9の裏設定が隠れてる作風の方ですから、海神の後ろにも膨大な設定が隠れててもおかしくない。
こう想像すると元魁と斡由の会話が理解できるし、斡由が光州の裏切りになかなか気づかなかったのもわかる。かつて見捨てた側だったから、今度は見捨てまいという意識に囚われて、見捨てられたのに気付くのが遅れた。かつて大内に見捨てられた小松尚隆が見捨てさせる側にまわったのと対象的。
自分がされて辛かったことを必要だったということにして、他人を同じ目に合わせるのは痛々しい。自分がされた時の理不尽だという感情に蓋をしてしまうから…というわけで、私としては尚隆の方がやばい気がする…

●元魁の話の中の斡由像

は、二つある。
一つは元魁が民を処刑して王に阿ろうとしたのに抗議した斡由。六太も元魁も認めざるを得ない理を負った斡由。
もう一つは屑な斡由。
①ただ侯位が欲しかったのだ
②儂を幽閉する口実があればよかったのだ
③己の失敗を認めることができんのだ
④もしも昇山して王でなければ赤恥をかく。斡由はそういう恥辱に耐えられはせん
⑤非は他者に擦り付け、過ちはなかったことにする
⑥傷をつけるものは無視するぞ。傷を隠すためになら何でもするぞ。
…これほどストレートな罵倒も珍しい。最初、その時元魁は民を処刑しようとしてただろうと指摘した六太も、圧倒されてしまった。
しかし、この台詞と実際に起こったこととの間には矛盾が二つある。
一つは斡由が、梟王という反意を持つ者を殺害する王の治世下で、王に忠実な父に反逆したこと。
もう一つは斡由がその後五十年近く荒廃と戦ったこと。
①②について、不満を口にしただけで処刑する王に忠実な州侯に反逆するのはかなり危険。そして元魁が梟王に阿るために民を殺してたのは本人が認めてる。それでも「口実」なの?民のためでもあったんじゃないの?
③について、荒廃とはつまり災害と異常気象と妖魔である。それと五十年近く戦い続けて失敗なしってありえない。
失敗を恐れる者がとる手は二つある。失敗しそうなことに手を出さないこと、失敗したことを隠すこと。でも他の州の州侯が戦わなかった荒廃と戦ったのが斡由だし、失敗を隠すにしても五十年近くもやり続けたらバレるでしょう。
私は斡由は沢山失敗したと思う。一介の地仙が荒廃と戦ったらそうなるでしょう。それでも投げずに続けたことで成果を積み重ねていったのだろう。でなかったら、三章2の関弓より大きくよく整備された頑朴の街なんて維持出来ないだろう。元魁はそういう斡由は知らないんだよね。
④について、昇山しなかったのは、斡由が天意を受けた王に幻滅して反逆したからと、長く城を開けて影武者がバレたら終わりだからじゃない?
⑤⑥は更夜の件と八章2の「斡由は屑」説を読者に受け入れさせるための伏線でもあると思う。しかし、斡由がずーっとこうだったとしたら荒廃とは戦えなかったと思うんだな…

つまり元魁の酷評と矛盾するのは、元魁が幽閉された後の斡由の行動なんだ。
行動の積み重ねが内面を変えるかどうか。変えないとしたら斡由は屑のままかもしれない。
変えるとしたら…斡由は屑ではないかもしれない。

●弓の失敗と下僕の処刑

元魁の語る斡由の過去。
儀式で弓を射そこねた罪を、的を用意した下僕に被せて処刑させた。
元魁の③⑤⑥と呼応するエピソード。
元魁が知ってるから当然幽閉前の事。だから州の最高責任者は元魁だったはず。それに射手は高官というより若者の役目だよね。斡由が本当に若かった頃の話かな。
しかし儀式とはいえ弓の失敗で処刑てのは穏やかでない。普通ならクビにして終わりだよね。なんで処刑までいったのか。ひょっとしたら梟王がおかしくなりだした頃のエピソードで、的のせいだとしなかったら処刑されたのは射手の斡由だったんじゃないだろうか。つまり失敗を恐れるというよりもっと切実な、自分が処刑を逃れるための行為だったんじゃないだろうか。
もちろん、下僕にとっては非道に違いない。斡由自身がその非道を自覚してたかというと…屑説だと自覚してないことになるけど、私は自覚してたと思う。なぜならその後斡由のやったことが立派すぎるからである。
王の処刑命令に反対したこと、そして何より王不在の間荒廃と戦ったこと。正当な権と責務を持ってた冢宰や州侯たちに出来なかったことが何故斡由に出来たのか。斡由が自分の過ちを取り返そうとしたからではないか。
斡由はできた子でできぬことなどなかったかもしれないけど、常世の理を越えるにはきっかけが必要で、それが下僕の事件だったのではないか。
尚隆が小松最後の戦で自分の首で民の命を贖おうと戦ったのは、父が小松を勝ち目のない戦に導くのを肚を据えて受け入れてしまったことを、自分の過ちと思ってたからじゃないかと思うんだ。それと同じこと。
さて、身代わりに下僕をというと、更夜もその下僕みたいなものなんだよね(詳しくは七章5で)。斡由はまた同じ過ちを犯そうとしてたんだ…

●斡由は何故元魁と影武者の老人を幽閉しておいたのか

元魁幽閉がどれくらい計画的だったかは不明。白銀の驍宗と同じく、大っぴらに人手を費やさない限り、助けることも殺すことも養うことも出来ない状況だったあたり、カッとなって突き落とした結果としてそうなったのかも知れない。
…斡由は王宮の仙籍簿で地仙の生死が確認できること、知ってたのかな? 知ってたら阿選と同じ焦燥を抱えていたことになる。知ってても知らなくても、元魁が根性で生き抜いたのは斡由にとって幸運だったことになるな。
一方、影武者の老人は斡由の手の内で幽閉されていた。
この老人、元魁に扮して官吏に命令などしてたんだから、自分が何をしてたかはわかってたはず。つまり斡由の五十年間の唯一の共犯者だったんではないだろうか。
前回述べたとおり、斡由には更夜以外に汚れ仕事をさせてた臣はいない。で更夜は心理描写によると元魁や老人のことは知らない。よって老人の舌を切り鎖に繋いだのは斡由。一見理性派と見えて激情派なんだな。
しかし、ここで謎なのが、斡由が何故老人を生かしておいたか、なんだよね。仙籍簿の仕組みを知ってたとしても、州侯みたいな大物でなければ、罪をでっち上げて報告すればいいんだし。舌を切っても六太とみたいに意思の疎通はできるんだし。自分に不利な証言をするに決まってる老人を何故生かしておいたのか。
切り札だったのかな…斡由最後の切り札を切るための切り札。おそろしい奴…

●何が斡由を怒らせたのか。

ところで、斡由を激怒させた老人の言動ってなんだろう。影武者を辞めたい、だけでなく、王や元魁に詫びて裁かれよとでも言ったんじゃないだろうか。
斡由はそれは絶対嫌だったと思う。
斡由は梟王と元魁の命で処刑されるはずの民を守った。天意が王をもたらさないためにおきた荒廃とも戦った。それがなぜ元魁や王や天意に裁かれなければならない?…と思っちゃったんじゃないかな。
常世の理はうまくいってる時は民を守るけど、うまくいかないと民を苛むものになる。そういう時大概の良心的常世人は「仕方ない」と諦めて次の王を待つんだよね。斡由は待たなかった。待たずに戦った。

斡由が王の定めた法に従ったのなら、民が処刑されても自分のせいじゃないと言えただろう。自分の許される範囲でだけ民を守って、守れなかったら仕方ないと諦めて、死んだらただ哀れんで、そしたら父も傷つけず、屑だと言われずに長生きできたろう。
でも、そんなの斡由じゃないんだよ。

●正義の実体

六太は斡由を説得できなかったのは斡由の正義に実体がなかったからだとしたけれど、正義の実体ってなんだろう。
民の命? 法を守ること? 周囲に優しく振舞うこと?
六太が説得したように斡由が謀叛を諦めたら、戦は防げるかもしれないけれど、洪水で多くの民が死ぬかもしれないと斡由は言っていた。
老人を幽閉しなければ斡由は元を追われ、元は治水もさせない王のもとで再び危機に陥るかもしれない(斡由は尚隆をダメ王だと思ってたから…尚隆はそう思わせてたから)。
斡由が父から権を奪うためにしたことは非道だけど、斡由がそうしないとたくさんの民が処刑されたんじゃないの?
尚隆は愚かな父に背かず父の命に従ったけど、それで小松は滅んだんじゃないの?
周囲への優しげな振舞いが絶対ではない、十二国記らしいシビアな命題。
では次、斡由の最も致命的な過ちにいきます。

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