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『子育てはマジ難しい(後編)』

2020-02-03

 二歳半くらいを過ぎて、少し物事の判別がつくようになってきたら、ダメなことも伝えなくてはいけなくなってくる。強要と教育のちがい、甘やかしと愛情のちがい、マジ難い。
 まずは理由をつけて丁寧に説明する。
例えば、車で走ってる途中にドアを開けたらどうなるのかなと気になって気になって仕方がなくて開けようとした時。「何やってるの!!ダメでしょ!!!」と怒鳴るとする。子供を守る親の身としては当然の反応である。
しかし、子供からすると開けてみたいという欲求は純粋な好奇心で、それを絶対的存在である親に感情的に全否定されると好奇心の芽は摘み取られてしまう。
 そして日常的に否定されていると“こんなダメなことばかり思っている自分はダメなんだ”と無意識に自分を否定し始める。
 否定的な教育環境で育った子供は親の声が心に内在化されて、成熟してからも無自覚にその内なる親の声に「従う」「反抗する」のどちらにせよ、行動の動機になってしまっていることが精神分析の現場ではよくあるという。
子供は科学者である。まずは「開けてみたいよなあ」と好奇心を受け止めること。
 それから感情的にならずに説明をする。「でも開けてさあ、すずの身体が外に飛ばされちゃったらメチャクチャ怖いし、痛いし、死んでしまうかもしれないよ。もし死んでしまったらすずにもう会えなくなってしまうからととはすごく悲しい。だからやめてほしい。」と伝える。
「ダメでしょ」の前と後をしっかり伝える。
 例え話をもうひとつ。
 お昼ごはんにうどんを作った。子供用に柔らかめに茹でてからすこし冷まして、食べられることを確認してからテーブルに運び、さあ食べようか、というと立ち上る湯気を見て「あつい!」と怪訝そうに顔を歪めた。ここでも「あつないわ!」と言いたくなるのをぐっと堪えまして、出てきたものはいったん受け止める。「そやね、これはカンペキ熱そうにみえるね、さっきは熱かったけど、ととがちゃんと酸欠なるくらいメチャクチャふぅふぅしたからたぶん大丈夫だと思うで、ちょっと食べてみよか」というと、すんなり受け入れてくれた。
 キャッチボールって、いったん投げられた球を受け取らないと始まらないっすもんね。大人にもよくいますね。自分が球投げることしか考えていない人。大変だった、忙しいと人がいうと
「阿保が何を言うとるんヤ!わしが若い頃は云々」。身に覚えのある方も多いと思います。感覚は絶対評価ですから、比較するものではありません。「あの人はもっと大変だったから、よし、わたしも頑張ろう」と自分が思うぶんには自由ですが、押し付けるのはお門違いってものです。
 まずはキャッチする。まちがってると思ってもキャッチする。
受け取った承認をちゃんと相手に返してあげれば、きっと自然に返ってきますよ。
 余談が長くなったが、毎日のように起こるこんな作業、子育て以外であまりしたことがないし、どれだけ仕事で疲れていても同じように接するのは至難の技というか如来の技ですよ。
 日々をこなしながら自分の感情をコントロールしつつ相手を尊重する繊細な対人スキル、精神衛生に加えて栄養管理、あらゆる病気疾患への対処、こんなの学校の授業で教えてもらわなかったんですが?!
 日々これでいいのか?と不安に思う。でもそう思っている時点である程度合格だとも思う。
 だからこそ「親もたまに間違うで」ということと、前後をちゃんと伝えるということくらいは日頃から心掛けたいと思っている。
 生きるのに難しい世の中、家の中くらいuは誰の顔色も伺わずに成長させてあげたいねと妻と話した。
 親になって2年9ヶ月。
 たくさん笑って、たくさん勉強させていただいている。

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