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坂爪圭吾さんにお会いした話

敬愛する坂爪圭吾さんにお会いした。
初めて彼のブログ記事(ホームをレスした話)を読んだ時、こんなにもおもろい人生を歩んでる人がいるのかと衝撃を受けた。いつか会えたらいいなと思い、全国民に公開されているLINEを登録したのが4,5年前のことだったと思う。
会うことになったのはたまたまタイミングが合ったからという他にない。出会いはタイミングで、その時は突然やってきた。

彼は想像していたよりもずっと寡黙な方で、私のしょうもない話をただ黙って聞いてくれた。あまり目を見ない印象だけれど、時折グッとこちらを見つめる目には力があって、彼の文章そのままに、嘘のない人だと思った。 

坂爪さんがずっと行ってみたかったという聖カテドラル聖マリア大聖堂に出かけた。
全身黒ずくめの革ジャン男(坂爪さん)と昼にカレーを食べることしか頭にない女(私)をみて、神は何を思ったのだろう。

ピエタ像を見た。キム・ギドクの「嘆きのピエタ」はここから来ていたのだと知った。まだまだ知らないことばかりだなぁ。
大いなる聖母に抱かれるピエタをみて、この死に様を夢みない男性はいないだろうなとぼんやり思った。

ザビエル像もみた。教科書でみるよりずっと男前だった。「尾崎紀世彦に似てる」と坂爪さんは言った。私は笑った。クスクスではなく「ぶはっ」と笑った。神聖な場で一体何の話をしているのだろう。神は何を思ったのだろう。

坂爪さんは喫煙者だったので、久しぶりに寒空の下でタバコを一本もらって吸った。もらいタバコってやつですね。俺ら授業サボってる学生みたいだね。しけてる!なんて、くだらないことを言い合いながら。

もらいタバコのお礼にコンビニでタバコを2箱買って渡し、渡したタバコを「吸わせろ」と奪い返した。「あなたのタバコなので。僕はタバコ持ち」と坂爪さんが言ったとき、学生時代に担任の先生から「男をアゴで使う女」と呆れ顔で言われたことを思い出した。もちろんそんなつもりは一切ないけれど、私にはそんな一面があるのかもしれない。

坂爪さんは言った。なめくじみたいな女が嫌いだと。なにがしいたけ占いだ。何が藤井風だ。何がGraceだ。そんなもので癒されてる場合か。
飛び込め。事前に安心を得ようとするな。渦中で得た大丈夫こそ本物だ。
残虐非道なサイコパスやチンピラ映画に爽快感を覚える自分を、人のタバコを奪ってうめぇー!と笑う自分を、何かあるとナチュラルに舌打ちをしたり、おもちゃを奪われた子供みたいな顔で生きてる自分を認めろ。そのままの自分100%で生きろ。そんなあなたをおもしろがってくれる人が絶対にいる。いなくてもいい。わかってもらえなくていい。自分100%で生きられたらそれでいいじゃないですか。と。

ずいぶん言いたい放題言ってくれるじゃねぇかと思いながらゲラゲラ笑った。ずっとこんな言葉を誰かに言って欲しかった。
真実は甘くないし、本音は時に人を傷つける。
でも本音でしか癒せないものもあると思った。
私はやっぱり真実が知りたい。本当の言葉が聞きたかった。癒されたなんて言うと坂爪さんは嫌がるだろうな。それでも私は癒されて、やってやる、と心のマグマを噴出させた。負けず嫌いのマゾで、追い込まれれば追い込まれるほど燃えるのが私の本質だったと思い出した。

すごい人に会うと自分が勝手に覚醒していく。
この感覚は久しぶりだった。
またここから動くわ、そう思った。

俺は俺だからと坂爪さんが言ったので、喉元まで出かかった「オマエはRolandか」という言葉をアイスコーヒーで飲みこんだ。代わりに「坂爪さんに惚れた女は大変だろうと思う」と素直な感想を伝えた。
そんなことはない、惚れた人のためならこんな自分はいつでもあっさり捨てられますよ。と彼は言い切った。いい。そういうのいい。私もそんな生き方がしたい。知識も経験もこれまで自分だと思いこんでいたものも全て、大事なもののためならあっさり捨てて何度でも生き直したい。

坂爪さんありがとう。楽しかった。

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