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愛とか感謝とか幸せとか語り始めたら老害の始まりだと思ってる(はずなのに)

大昔に付き合ってた家庭環境でなにかと苦労の多かった元彼が「のりのご両親はどんな時ものりの側にいてくれたんでしょ。それが愛なんじゃないの」と言っていたことを時々思い出す。サラッとなんてことない感じで言ってくれたから、余計に心に残ってしまったのかもしれない。

大人になると、一緒にいる理由は決して愛ばかりではないってことを知るようになる。でも私の両親が私のそばにいてくれたことはきっと愛だったんだろうねと思う。そして矛盾しているようだけれど、愛とはたとえどんなに離れていても、どうしたって相手に伝わってしまうものだとも思う。気付けるかどうか、それだけじゃないのかと。


朝ドラって私はたまにチラッと観るくらいなんだけど、主人公の寅子にお父さんが言っていた「父さん、トラが幸せだったらなんだっていいよ」という台詞に全てが詰まっていた気がする。

生涯ベスト級に好きな「マイディアミスター」という韓国ドラマで、主人公の女の子におばあちゃんが言う「周りの人に恵まれて本当によかったね。あなたが幸せになることで恩返ししなければ」の台詞にも全てが詰まっていた。

愛とか幸せとか誰かを想う心というのは案外、すっきりとシンプルで混じり気のないものじゃないかと思う今日この頃だ。こねくり回す必要なんてない。


レモンサワーで流し込むたたきキュウリにも
極上の幸せが詰まってる。

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