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暴れ馬と呼ばれて

あんたの周りにはどうしてこうも強烈な男ばかり集まるの。と友人が言った。

彼らは決して私の周りにいるわけでも私の元に集まってくるわけでもないけれど、それはそうかもしれないなと思う。安心できるような普通の男性はいないの?と昔からそれはそれはよく言われてきた。そういう人といるのが、結局はいちばん幸せなんだよ、って。
安心とは何だろう。普通とは何だろうか。いまいち掴めないけれど、全然いるよ。いると思う。あまり親しくなれる機会がなかっただけだ。


昨年末に、神奈川でレストランを経営している同級生から連絡をもらった。

「年末年始どうしてる?地元に帰らないなら同級生が何人か集まるからあそびにおいで」と。

私はすぐさま「うん、行く」と返事をした。
帰省する気にはあまりなれないけれど、ひとりで過ごすのも寂しかった。群れるのは得意じゃないけれど、少人数なら久しぶりに同級生の顔をみるのも楽しそうだな、と思った。

そこで20年ぶりに再会する同級生がいた。
ほとんど会話した思い出はないんだけれど、もちろんその存在は覚えていた。きっと彼は私を覚えていないだろうなと予想していたとおり、みんなより少し遅れてやってきた彼は私の顔を見るや否やあからさまに「誰だおまえ」の表情をした。ムカついた私は皮肉を込めて「初めまして!」と元気いっぱい挨拶をしたが、その甲斐あって?数分後に記憶が戻ったようである。

彼らとひと通り昔話に花を咲かせながらも、話題は自然と、今とこれからのことになった。

これは好みだと思うけれど、私はあまり昔話が好きじゃない。いわゆる、毎度お馴染み系の思い出話だ。適度には楽しめるけれど、それよりも今とこれからの話がしたいな、なんて思う。
それがなかなか叶わずに、人知れず苦痛だなと思った時期もあった。
彼らは当たり前に今とこれからの話を始めたので私は嬉しかった。そうそう、そう来なくちゃ!とワクワクした。そして私の話をすると、「他人とか年齢をどうして気にするの?のりちゃんがどうしたいか、だけじゃない?」とさらりと言ってくれた。何の気負いもなしに言ってくれたことが嬉しかった。嬉しかったので、「○○くん、大人になったね!あとさ、クセがものすごいね」とお得意の余計な一言を添えて喜びを表現した。彼はすぐさまバカデカバリトンボイスで「君もね!」と返した。癪に触ったようである。

いつも後悔することだけれど、私は言葉を発する前に、それが適切かについて言葉を脳内の思考回路にぐるりと一周させるべきなのだと思う。ひと呼吸おくべきだ。子供じゃないんだからね。でもまぁいいか、同級生だし。それになんだ「君もね!」って。もう一回言ってみろ。

クセが強いにはまぁ、見た目もあるんだけれど、彼はプライベートにおいていわゆるおクズ様だった。これ程までに「最低」を連呼した日があるだろうかと言うほどだったけれど、まぁいいか、人間なんて皆どこかしら最低の部分があるもんね。それに、あんたはあたしの同級生だし。なんかいいね、同級生。そんな気分だった。

私は思う。自分のことを面倒くさいとか変わってるとかクセが強いとか激しいとか不器用とか言っている女性をたまに見かけるが、自覚があるならまだマシなのだよ。人から言われて自覚する人間もいるんだよ。私がそうだよ。一体どの口が…?と言いたくもなるような強烈キャラ達に言われてやっと気がつく、そんな人間もいるんだよ。ただし、好きだった人(強烈)から「面倒くさい女だ」と言われたことは「おまえにとってのな」以外にないのでカウントしていない。それに、自覚していようといまいと、女は皆そうでしょうよ。普通の女なんてどこ探したっていやしないよ。

しかし、さすがに何度も言われているので、最近は少しだけ自覚を持つようになった。なぜこんな自分が20年近くも企業勤めができているのだろう。
そして思った。それはきっと、私に抜群の社会性があるからなんだわ!と。
しかし、ここでハタと思い出す。若い頃、当時の上司に「暴れ馬」と呼ばれていたことを。もしかして私は、ただひたすら周りに恵まれてきただけなのかも知れない。そう謙虚に思い直すことにした。ちなみに私を暴れ馬と形容した元上司とは今でもお付き合いが続いている。いつもありがとうございます。皆様あっての私です。

幸いにも今はフルリモートの仕事をしているので、私の暴れ馬っぷりが発覚している怖れはない。それでもたまに出社をすると、一応大人しくしているつもりでも「なんだかすごく…楽しそうだね!」と上司に言われたりする。猛烈に言葉を選んでくださっているくらいのことは私にもわかるよ。大人しくしているのに、マスク、してるのに。なぜだろうね。やっぱり今も、わからないのだ。

絶品カラスミパスタ。
同級生のお料理が食べられるなんて、私は幸せ者です。

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