【閲覧注意】職を失いました。


僕は昨日職を失いました。
約2年ほど、変則的な働き方であったものの僕の中では全身全霊をかけて貢献していたつもりでしたが、まあまああっさりクビになりました。
契約を切られたという表現でもいいのかもしれないですが。。。

事実です。実際の文章を貼りたいくらいです笑

ただ、全く後悔してないですし、すっきりしています。
それはなぜか、自由になれたからというのが一番です。いや職がないんで不安はありますよさすがに。
だけど、ここからは自分の努力と正比例した、手を抜けば、堕落すれば落ちていくだけ、今までとは比べ物にならないくらいの何の保証もないことができます。

最高ですね。
まあ正直クビになるだろうなあと思ってました。なぜかというと上層部の意向に従わなかったから、とっても簡単ですね。
ただ、一つだけ言わせてもらえれば、自分達の掲げているものにそのやり方で辿りつけるのだと本気で思っているなら、クビになってよかったです。僕にはそのやり方では到底達成できるとは思えませんでしたし、あまりに身の丈に合っていたに現実をみれていないと思いました。

と、特定の人へのメッセージを公共の電波に乗せて発信しました。
すみません。

きっと、これが目に停まっても、省みれるような人たちだと思ってないので、小さな抵抗です笑

ということで、
実はこの釣りタイトルの中身は僕のこれまでのできごと、弱音を、心の内をひっそりと書きたいと思います。

僕にはコンプレックスがあって、そのコンプレックスがまた今回のできごとで助長されました。

結構な心の闇を開放しています。うつうつとした気分になられる可能性も大いにあると思います。覚悟して読んでください。
割と本気でいい内容ではないです。心かき乱されると思います。

だけど、吐き出しました笑

それはやり切った経験がないことです。

中高は一貫校に通っていて
中1から高2まで吹奏楽部というやつに入っていました。

正直この話は、僕の中のトラウマで人に話したことがあるのは卒業して10年たった今でも2人だけです。
僕の中ではいまだに心の傷で、トラウマで、思い出すと悔しいしやるせないです。
ただ、いつまでもひきずれないし、頭の中にずっとあったらじゃまなので、ここに書いてしまって忘却したいと思います。

僕の担当していたものは人数が少ない楽器で5年間ひとつ上の先輩と苦楽を共にしました。
正直先輩のことが嫌いになったことは何度もありましたが、とてもお世話になった大切な先輩でした。

そして、もう自分ではわかってるんです。下手くそだったって、全然ちゃんと練習してなかったって、全然できてないのに、できてるつもりでいたこと
自信を持てるほど頑張ってなかったこと

ただただ、参加してただけだって
わかってます。

それでも5年間逃げ出したこともあったけど、当時の僕なりに頑張りました。
だけど、5年間の集大成をただの雑用として扱われて、何の労いもなかったことが僕の中のものを崩壊させました。
高校2年の最後の3月にコンサートがあり、そこで、自分達が主たる代として1つ上の学年の先輩の見送りをします。

最後の花道ってやつですね。
そして、終わった後は最後の時間(まあ死ぬわけじゃないですが)を過ごして解散です。
5年間苦楽を共にした先輩と最後の時間を過ごしたかった。
だけど、僕は後片付けをさせられました。それが当然かの様に
他の人たちはここに先輩たちと楽しそうに話している横で後片付けを丸投げさせられました。
もうひとつ内に秘めていることがあったので、これも含めて、もうこれを最後にしようと決意して挑んでいました。
楽器を運送用のトラックに乗せたり、会場を片付けたり、同じ高校2年が10人以上いてこれに参加していてのは僕ともう一人だけでした。そして、僕のものは何ひとつトラックに乗せていないのに、他にトラックに楽器を乗せている後輩や同級生もいるのに、
何も乗せていない僕がやらされました。なんならやれと言われました。

そして、そのことへの労いも何ひとつありませんでした。
当時の僕にはそれが耐えられませんでした。努力は誰かが見ていて、評価してくれるなんてことはないと感じました。
今思えばとても稚拙な甘い考えです。だけど当時の僕にはそれがすべてを否定された気持ちでした。

また、僕の心をへし折る出来事がもうひとつありました。

僕のひとつ上の先輩はとっても上手で一年前のこのコンサートの時にソロ曲がありました。めちゃくちゃかっこよかったです。
別にそのソロ曲をしたいというわけじゃないです。
たった2小節だけど、あった僕のソロパートを演出の関係でカットされました。

これで完全に心が折れました。
もうどうでもよくなりました。

5年間全てを否定された気持ちでした。
そして、何よりも5年間応援してくれた家族に申し訳なかったです。
とっても地味な楽器だから目立つことはないのを知っていましたが、本当に何もなく終わってしまいました。
特に母親は休日も弁当を作って、どんな時も応援してくれていました。その母にここ頑張るから聞いてね
そういってあげられなかったことが何よりも悔しくて悔しくやるせなくて
本当に辛かったです。
当然自分の努力不足を棚に上げている部分はありますが、大して部活に参加していないのに、目立つ楽器を使っている同級生には2小節どころじゃないソロパートがあるなかで、5年間の中でも唯一のソロパートももらえない存在なのかと思わざるおえませんでした。

それ以外にも、僕の演奏を信用していないように感じる行動を部活の顧問の先生からされていたことが何度かありました。
それらは受け入れられたにしても、これは本当に悲しかったです。

なんのための5年間だったのだろうと。
だから、もうこのコンサートを最後に去るつもりで準備していました。

ただ、最後のチャンス、心の支えとして、最後のコンサートで何か労いの言葉があれば、何にも楽器をトラックに乗せないんだから片付けもそこそこに先輩との時間を過ごさせてくれればと
挑んだら上記の通りでした。

これによりもう僕にはどうでも良いものと成り下がりました。

最後の最後に新入生の入学式で演奏をすると、引退となり部活にでなくてよくなる決まりになっていて、たった1週間で正式に引退できました。

だけど、それすらしたくなかった。
関わりを断ちたかった。

なので、僕は事前の練習も当日も携帯の電源を切り
参加しませんでした。

自分の内申書にも吹奏楽部の記録は削除してもらいました。
それくらい徹底して、自分自身で過去を否定しました。

後悔しているとすると、この部活動に入ったことを後悔しています。もっと勉強できたかもしれない、もっと楽しい学生生活ができたかもしれない。もっと家族と時間を過ごせたかもしれない。
もっと努力していればよかった。
後悔に尽きません。

そして、両親には本当に感謝しています。
5年間の部活動を全力で応援してくれました。何不自由なく部活動をさせてくれました。
また、全く部活に参加しなくなり、もうその話をしなくなったのに、そっとしてくれました。

いまだにこの時の出来事が寝ている時にフラッシュバックして夜に目を冷ましてしまうことがあります。
努力なんて無駄だ、正しい努力じゃないと、要領の良い努力じゃないとダメだって痛感した出来事でした。
どうしたって、この絶望感を拭えません。もうどうして欲しいとか何もないです。だけど消えない。
正直いまだに辛いです。顧問の先生から謝罪されたってこれはなにももはや変わらないです。どうやったって覆そうにないです。
その反動で、コンサートホールが怖いです。また自分の人生を否定されるのではないか、自分は輝けなかったのに、この場で輝く人をみると死にたくなってしまうと思って近づけないです。ライブも実際に見るのが怖くて行ったことがありません。行きたいと思えません。
とっても小さなプライドであることは自覚しています。まあだけど、誰も傷ついてないしいいかなって思ってます。
多分一生変わらないかなと思います。

まああとは決して僕自身いい先輩ではなかったことも自覚しているので、その罰かなとも思ってます。
だから、わかってるんです。自分が悪いって、だけど誰かのせいにしないと耐えられなかったです。そして、ようやくこうして、自分の外に出すことができました。
自分の落ち度を少しは受け入れられる様になりました。

だけど多分一生立ち直れそうにないです。

そして、次なる投げ出しは大学時代の活動ですね。
大学時代にとあるスポーツにどハマりして、上記のように運動とは無縁の生活をしていたのですが、一年で20キロ近く痩せるほど取り組んでしました!

で、なんだかんだあって、縁に縁が重なりいつの間にかプレーする側ではなく、そのスポーツ自体を運営する方に回らせてもらいました。
おかげで憧れの代表選手たちと接したりすることができました。
プレイヤーとしてはそこそこしか活躍できなかったですけど、謎に特等席でそのスポーツに関わることができました。

なんですが、僕の中で2個大きな出来事がありました。
1個は僕自身が参加した大会で骨折をしました。なんですけど周囲の大人たちは僕の怪我よりも自分達の飲み会を心配して、誰一人僕を心配することなく、大袈裟だと罵り骨折なわけないと高笑いし、飲み会の準備をせがまれました。

実際骨折していたとわかったあとも、あそうという対応でまあまあ大人に失望しました。

もう一つは、過去の自分達の記録を知らないことに激怒する大人たちに嫌気がさしたからです。SNSもなく紙媒体でした記録が残っていないようなものを、それ以外にもうちわでしか知らない様なことを知らない若者に怒る大人たちの姿を見て、発展性のなさに絶望して、勉学が忙しくなったこともあって去りました。

本当に見苦しい大人たちだなあとああはなりたくないと思いました。
また、職業柄手が使えないといけないなということで、怪我もしたことだし
キッパリと辞めました。

まああとは大学の後輩と意見が合わなかったこともありましたが、それはそれでいいかなあと
努力の方向の大切さや他の人はそれ以上に努力しているということをあの子が理解してたらいいなあって思います。
そして、重要なことは何なのか理解する力がついていたらなあと
まあついてなくても別にどうでもいいですけど笑

この件に関してはさほど、学ぶことはあれど心の傷ではないかなあと思ってます。とっても多くのことを経験させてもらいました。ありがとうございました。

最近また順調に太ってきたからどっかで運動を始めねばとは思っているので、記念に整理しておきました。

続いて、大学生活ですが、これまた特に後悔はないですね。強いて言うなら真面目にもう少し勉強する習慣をつけておけばよかったかなあと
だけど、大学時代に学んだことが今の僕を支えてくれていて感謝しています。
あのまま大学に残らず、教員と大げんかしたまま外の世界にでてよかったと思ってます笑

ただ、これまたこうキチンと終わらせることができてなくて若干情けないです。なんなら卒業式もアメリカにとんずらこいて出てないので。
だけど、この時から目的のために行動する癖はついていてよかったとつくづく思っています。

一応その先生が卒業式に出て先生にお礼を言わなかったことに怒っていたみたいなので、一言お伝えすると
僕らが先生方から学んだことへの感謝の伝え方、礼儀の尽くし方は
先生方から学んだことをもとに世界に羽ばたき活躍し、多くの人に貢献することだと本気で思っています。
だから、卒業式に出ることはただの慣習であって、それだけが全てではないと思っています。

子を持つ親になった今どう感じられるのかわかりませんが、少しでも伝われば幸いです。

このときに、世界の広さを知ってよかったと、今の自分の支え始まりだと思っています。

で満を辞して卒業したわけですが、ここでも受難が待っていました。
小動物病院に就職したのですが、まあ大失敗でしたね。

高慢
知識がないのに知識があると思っている
言ってることとやってることがあってない
無駄に世間からの知名度はある
言ってることは矛盾しまくり
自分が知らないことを僕が知らないとそんなことも知らないのかと
これ知ってるかと言われたことを知っていたら偉そうと怒られ
飼い主さんに高圧的
飼い主さんへの説明の2/3が自慢
自分が絶対的な正義
有名な先生が言っていたがエビデンス
学会での経費が僕の月収以上
説明がザックりでいい感じにしろとしかいわない
特に何か教えてくれるわけではないが、最高の教育をしていると豪語したり
手土産を持ってきた業者を重宝して、機能や効能なんかちゃんと理解してなかったり
都合がいい時は自分は人の医療を知っているし、都合のいい時はアメリカの獣医の専門医を知っていると言ったり

という院長と

臭い臭いと消臭剤を直接振り撒いたり
ものを勝手に移動させて、勝手に診療系のルールを作ったり
あらゆる電気を消すことで経費削減できると思っていたり
コンビニの店長から聞き齧った内容が経営だと思っていたり
匂うという理由だけで缶詰の使用を禁止したり
単価が高いという理由で治療の変更を強いる
僕に聞こえるところで、いじめて自己都合で辞めさせようと会議したり

という受付と

機嫌がいいときは猫撫で声で近づいてきたかと思えば、何か気に入らないことがあったらものすごい勢いでブチギレたり、無視したり
何か報告しても機嫌が悪いと知りませんと聞く耳を持たず、あとから聞いてないとまたブチギレたり
定期的に嫌いな人が遷移していったり
新卒なのに、何十年も働いている自分と同じ様にできないと叱責してきたり
とにかく気分の浮き沈みが激しい

看護師さんと

という環境で半年しか持ちませんでした。
もう獣医をやめようと思いました。

なんのために勉強してたんだろうか、僕は必要なのだろうか
ものすごい地に落ちた感覚でした。

この時に奇跡の出会いに助けてもらい今があります。
本当に感謝しています。
このことはまた別で触れたいと思います。

今回は負の歴史を振り返ります笑

その後はリハビリで始めた臨床現場で過労死された先生がいて、みんな葬儀ではいいこと言ってたくせに
結局なーーーーーーんにも変わらなかった。

そして、みんな責任を取らなくていいようにいいように誰かに常に責任を擦り助ける姿を見てがっかりしました

また、金払いの悪い飼い主に強く当たったり、自分の機嫌で飼い主さんへの対応やスタッフへの対応が変わったり
スタッフさんへセクハラしまっくたり、保険詐欺の片棒を担がせようとしてきたり、
設定金額になる様に薬やサプリメントを付け足したり
言いにくいこととか厄介なことは全部看護師さんに丸投げして、自分は早々に遊びにいったり
十分給料払ってるとかって経費で高い買い物をしたのを自慢したり
他の人の前ではいいカッコしてでかいことをいう院長に嫌気がしたりしてたなかで

動物たちと真剣に向き合っている人をようやく見つけたから
その人たちのために全力で力になろうと持てるものを全てかけてがんばっていたのですが、

そこでもメッキは少しずつ剥がれて行きましたね。
結局院長という生き物は、身勝手になっていくもんなんですかね。

自分の言うことをはいはい聞く人を重宝して、掲げている目標のために改善を要求し、自分の意向に歯向かう従業員には恫喝や暴力に訴える

結局口だけのこれまで見てきた嫌な院長たちと全く同じでしたね。

なんなら僕のことを発達障害だから他所では働けないとまで言ってくれましたね。

もう他人に期待することは辞めます。
そして、こんな業界未来ある若者に胸を張って勧められないです。

だけど、素敵な人たちがいるのも事実で

頭ではどうしたらいいかわかってるんです。
だけどそれを今まで実行に移してませんでした。言い訳ばかりでやってませんでした。

これまでの劣等感は、完全に誇れる自分じゃないことに起因しています。
だからこそ

この負の歴史を赤裸々に、語ることでこれまでの自分におさらばします。
過去に決別して、今を生きて未来を作っていきます。
ありがとう。これまで頑張ってきたね。

そして、これから頑張ろう。
僕ならきっとできる。僕にしかできないことがある。
そういった最後にちょろちょろっと決意表明をしておきます笑

もしここまで見てくださったかたがいらっしゃったら、お付き合いいただきありがとうございました。

なるべく、表面に出さない様にしてますが、人並みにコンプレックスもトラウマも持ってます。

ちょっと勇気が出た人がいれば幸いです。

意外と吐き出すと気分がいいものです。

本当にスッとしました!
ここから頭に思い描いたものを形にしていきます。
どうぞお楽しみにしてください!


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