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アーサー王伝説 アーサー王の珠城りょう

珠城りょうは王である。

女の子が男装して、キラキラ王子様に変身!
これはわかる。
むしろこれこそ、宝塚の醍醐味。

一方、女の子が男装して、筋骨隆々(に見える)、パンッパンに中身の詰まった赤い甲冑。
神に選ばれし我が国王」とか家臣(※上級生)に言われてても「そうだな」と思うし、陛下! と呼ばれてなんの違和感も感じさせない貫禄。

そりゃエクスカリバー(聖剣)も、この男を選ぶわな。という謎の説得力。

背が高いとか、体格の良さだけでは説明のつかない、たとえば往年の銀幕スターがただ黙って立っているだけでも感じさせる 「風格」 のようなものを、何故かこの人は持っているのだ。

それだけでも男役スターの個性として充分なインパクトであると思う。


ゆるく長く宝塚のファンだった私が、「カンパニー/BADDY」を観劇してからというもの珠城りょうさんの事しか考えられなくなってしまって数日。

御贔屓が出来た!などというはしゃいだ気持ちより、とにかく「この人の主演作品をもっと観ておかねばならない」という確信に近い思いから、「雨に唄えば」のチケットは手に入れた…

でも
もっと早く、今すぐ、何か観たい!

だけど何から観たら良いのかわからない…!

そんな私は、タカラヅカ・オンデマンドのレンタルというものを初めて利用する事にする。

どれから観るか迷った末、珠城さんのプレお披露目であり、以前その楽曲の良さに感動した月組公演「1789」と同じドーヴ・アチア監督作品の「アーサー王伝説」をチョイス。

「アーサー王」と言うと、岩から聖剣を引き抜いた少年が王となって活躍する話…という英雄譚のイメージ。

私は幼い頃に見たディズニーの「王様の剣」(少年アーサーが、岩に刺さった聖剣を抜くまでを描いた話)の印象が強く、剣を抜いた彼のその後についてはほとんど知らなかった。

いざ観た感想として、一言なにか言うのであれば

こんなお披露目があるか…!
である。
良くも、悪くも。

研9という若さでトップ就任した珠城りょうは、まさしく聖剣エクスカリバーに選ばれしアーサー王。
ハッピーミュジカル・ハッピーエンドでお披露目♪ とはほど遠い話。

恐れられる王でなく 愛される王に
そして民を愛する 慈悲深き君主に
神が決めた運命(さだめ)なら
己の孤独を封印し
民の為 この国の為 私は生きよう
それが運命(さだめ)
※月組公演『アーサー王伝説』プログラムより抜粋

主題歌の歌詞の一部である。

親を知らず、突然背負わされた重責を分かち合う人もおらず、アーサーはいつも孤独だった。

立派な王になる為だけに生きてきた彼は、
家臣を愛し、民を愛し、敵にも情けをかける。

今まさに剣を交えて闘ったばかりの宿敵・メリアグランス(輝月ゆうま)に、『お前は騎士だ。頼む。私を騎士に叙してくれ』と言って丸腰で跪くシーンがある。
(※先輩である騎士が、新しい騎士の叙任を宣言して剣の腹で肩を叩く。細かい形式はよく知らないが、その儀式をする事で、正式に騎士となる事ができたらしい)

普通ならば、一国の主がなんて無謀な事をと思うだろう。
わざわざ敵の目の前に頭を垂れて、その首元に剣を置かせる愚か者がいるだろうか。
闘いに敗れた上に皆の前で恥をかかされて逆上したメリアグランスに、殺されてしまうかもしれない。

だがアーサーが決して愚か者に見えないのは、珠城りょうの表情…中でも「目」のせいだ。

止めようとする家臣達を、片手で制して宿敵に身を預ける横顔が、静かな覚悟と気迫に満ちていて…
-丸腰だろうが手出しはさせない、
もし、しようものなら、瞬時に身を翻し家臣から剣を奪い取り、刺し違えてでもメリアグランスの息の根を止めるだろう-

そんな凄みを感じさせるのだ。

そこから一転して、
初めて愛する女性グィネヴィア姫(愛希れいか)と出会った時の、少年のようにキラキラとした瞳。

この「荘厳な王」と「少年のような純粋さ」の匙加減が素晴らしい。

無慈悲で残忍なメリアグランスの城で捕らわれの身だった、まだ若いお姫様が、
「悪者から自分を助けてくれた王子様フィルター」
プラス
「強くて優しくて敵にも寛大」
「自分の事をものすごく愛してくれている」
「しかも国王」

これで『イタズラな恋の魔法かしら〜♪』と浮かれない方がおかしい。
後先考えずに結婚もしてしまうだろう。

さて、そこに現れるのが、後のアーサーの右腕。ランスロット(朝美絢)。
円卓に集められた中でも、一番優秀な騎士だ。
彼との出逢いをきっかけにグィネヴィアは、いけないと知りつつもランスロットに惹かれていく…。

幸せな結婚生活は束の間のものだった。
義姉、モーガン(美弥るりか)の登場と告白により、アーサーは自分と義姉の残酷な生い立ちを知ってしまう。

アーサーに一方的な恨みを持つモーガンは、ランスロットとグィネヴィアの仲を近づけるよう、彼らとアーサーとの間に亀裂を入れる事で国を分裂、ゆくゆくは崩壊させようと様々な罠を仕掛ける。

アーサーとモーガンは異父姉弟。
前王ウーサーが、家臣の妻であったモーガンの母の美しさに魅了され手込めにして産まれた不義の子が、アーサーだった。
モーガンの実父は戦死、罪の意識から母も自害。

王宮の魔法使いに引き取られたアーサーは王となったが、残されたモーガンは孤児となり、寂しさと憎しみの中で成長する。
悪魔に魂を売り渡し、魔女となって復讐の機会を狙っていたのだ。

美しくも哀しい二人の姉弟からは、ただの仇同士、だけでは終わらない激しい愛憎のようなものを感じる。
クライマックス前にデュエットする「Mon combat (真実が恐いのか)」は、不思議な魅力の「美弥 × 珠城」コンビのまさに真骨頂でめちゃくちゃカッコいい。
モーガンはある意味、この作品の影のヒロインと言えるかもしれない。

(ちなみにアーサーは騙されていたとはいえ、魔術にかかってこのモーガンと一夜を過ごす濃厚ラブシーンがある。そんな事とはつゆ知らず、初見時に驚き泡吹いて妹にLINEした話はまた別の機会に… ←いらん)


モーガンの策に嵌まり、腹心の部下と愛する妻を[裏切り]という最悪の形で失ってしまうアーサー。
ランスロットとグィネヴィア。二人の密会の場に立ち合った瞬間の、絶望に染まる顔。

王宮の掟にしたがい、王が自らが処刑を決めなければならない…たとえ相手が、妻であっても。

『不義密通を働いた者は処刑の後、全ての衣服を剥ぎ取り、その亡骸を街路に晒すのが決まりだ』と家臣が告げる。
王の決断を促すように、他の家臣達も口々に叫ぶ。

人が、人として当たり前に思う全ての感情を、王として吐き出すわけにはいかない苦悩を、表情の芝居だけでこれほど繊細に作り出せるものだろうか。
見ているだけで胸が張り裂けそうになるのだ。

長い沈黙の後、『二人を火刑に処す』と告げるアーサー。
「火刑に」、としたのは、心から愛した女の亡骸が無惨に人目に晒されるような事だけは、一人の男として、どうしても耐えられなかったからだろうか。

『肩の荷は降ろせない』と歌う「Auprès d'un autre(孤独の歌 reprise)」。
アーサーが一人歌うシーンが何度かあるが、その歌詞はどれも孤独で重い。そうして感情を剥き出しにする時は、いつだって一人なのだ。
妻グィネヴィアの存在が、心が自由になる初めての、唯一の場所だったのかもしれない。

迎えた処刑の日。
集まった家臣達の前で、「二人を国外追放とし、王として、二人を許す事とする」と宣言し、罪を犯した二人を拘束する鎖を自分の手で断ち切るアーサー。

それを聞いて、グィネヴィアは突然気が触れてしまい、けたたましく笑い始める。

このシーンの意味は観る人によっていろいろな解釈ができると思うが、極度の緊張状態から糸が切れてしまったのか、
もう二度と取り戻す事の出来ない大きな愛への、取り返しのつかない後悔からなのか。

グィネヴィアはランスロットに恋してしまうけれど、アーサーの事も人として本当に愛していたのだと、私は思う。
(フランス版は未見だが、少なくともちゃぴちゃんはそういう役作りをしているように感じた)

狂ったように笑い続ける彼女に、アーサーはそっと歩み寄り、腕の中に包み込む。
ありったけの愛情と痛みの入り混じった、あまりにも悲しい顔…。
まるで壊れてしまった大切な宝物を抱き締める子供のように。

かつての王妃とランスロットが去っていった後、この一連を見守っていた皆が慈悲深く寛容な王に敬意を表し『キング・アーサー』を称えてエンディング…

改めて言おう。

こんなお披露目があるか…!?


よく、この、若い珠城りょうのお披露目にこれを持ってきたね…!?
※いや最後の珠城さんの演技なんてもはや 専科30年 ってレベルの芝居力と哀愁だったけども、
けどもね。

これを見て、『わぁ、珠城さんトップお披露目おめでとう良かったね!』って

言いづらい!!!!!/(^o^)\

絶対トップにするしかないようなスターなのに、彼女の肩にのしかかる重圧はすごい。

まさに、現代のアーサー王。
そう思って石田先生は、あえて、この演目を選んだのだろうか。

珠城さんは、一体どんな気持ちで、このお披露目を迎えたのだろうか。


次回 『アーサー王伝説』フィナーレ編 感想

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