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「自分、オバハンやん!」

「自分、オバハンやん!」と思った瞬間が何度かある。

例えば、白髪が増えてきた時
年を感じた。
わー、老けてくんだな。オバハンだわ。
ババアになった時の顔が見えてきたぞい!

ほかにも、ネパールで。
知り合いのネパール人の家庭に厄介になった時のこと。

その家のティーンエイジャーのブリータ(13歳)と弟(11歳)にせがまれて、隣町のお寺まで一緒に出かけたときのことだった。

隣町でブリータの友達に偶然会った。

ブリータは友達に私のことを
「自分のおばさん」だと紹介した。

日本という外国への憧れが多少あるらしく「日本に親戚がいるんだよ」と自慢したいようだった。

私は本当は「親戚のおばさん」ではない。いわば、ただの「おばさん」。。

私は「おばさん」という言葉に敏感に反応していた。

日本にいると、姪っ子からも、もちろん知らない子からも「おばさん」と呼ばれたことがない。

私が子どもの頃は、
親戚の叔母伯母だけじゃなくて、近所の友達のお母さんを「おばさん!」と自然に呼んでいたけど。


最近は、おじいさん、おばあさんも「じいじ」「ばあば」だ。


ネパールで「おばさん」と言われ、
そうだよな、確かに子どもから見たら、すんごい歳上の立派なオバハンやん!

30代も半ばだった。
お父さんお母さんと同世代の大人だもんなー。


「おばさん」呼ばわりされる以前にも、
ネパール人の知人の家に厄介になったことがあった。

そのとき、知人の家は二階建ての一階部分で、二階は人に貸していた。

その二階の住人家族にもティーンエイジャーの女の子と男の子がいた。

その子たちのお父さんは数年前に亡くなっていた。

お母さんは、私と同じ年だということもあって、親しみを持って私をよく部屋に招いてくれた。

夫に先立たれ、孤独を感じていたんだと思う。
子どもたちが学校へ行った後の時間を持て余していた。

一緒にテレビを見たり
ご飯を食べたり
インドの雑誌を見たり

たわいもない時間を過ごした。


ある日、娘ソニタの誕生日だということで、小さなパーティーをした。

確か14歳の誕生日だった。

私も呼ばれて一緒に食事をしていると、
誕生日で主役のソニタにだけじゃなく、
お母さんは、不慣れな外国人の私にも色々よくしてくれた。

だんだん、ソニタの表情が変わってきた。

どうも私に嫉妬している!

母が私に優しく世話を焼いていたのが原因だ。

嫉妬はソニタの大きな勘違いによって増幅されているところもあった。

ソニタは、私をなんと同世代の女の子だと思い込んでいたらしいのだ!
日本人は実年齢より若く見られる。

ソニタねえちゃんは、私を軽々しく受け入れてる弟のことを叱りとばした。  

ソニタは弟に対しては、おねえちゃんというか、母のようにふるまった。

ネパール語なので何を言ってるかははっきり分からなかったけど、

こんな女としゃべるなって感じで、弟を自分の方に引っ張り、
こそこそと内緒話をした。

こうして、私は「仲間外れ」にされた。


一階にはメイドとしてソニタと同世代の少年が住み込んでいた。

その少年も交えて、ある日、二階の家族とテレビ番組を見ていたときに、

メイドの少年がなにかのタイミングで私の年齢を聞いた。

その瞬間に、ソニタは、
はあ?という表情を見せた。

ええ?
お母さんと同じ年なの?
嘘でしょ?

その時までソニタは、私を同世代のライバルのように思い込んでいた。

大好きな母の愛情を奪う憎いヤツと。

それが、私の実年齢を知るや、

はあ?おばさんじゃん!

おばさん同士の友達だったんだ、と瞬時に理解。

すると、手のひらがペロンと返った。分かりやすく、ソニタはまた私のほうに寄ってきた。

すっかり忘れてた女子同士のあのミョーな感覚を、ネパールで思い出すことになった。

自分も同じ女だけど、
女の愛憎、こわい!!

年齢に対する認識について、腑に落ちない部分もある。

「おばさん」ならいい?
「おばさん」なら許す?って、
一体なんなんだ?!

似た者への仲間意識とか、
似た者への敵対心とか、
おもしろくて、めんどくさい。

ともかく、ソニタねえさんの仲間外れがなくなったことに安堵した

実はとっても多感な階下の居候おばさんなのでした。

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