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生物に組み込まれた「遊び」の意味

 動物ドキュメンタリーをみていると動物の子供たちが遊んでいるシーンがよくでてくる。解説内容もだいたい決まっていて「彼らは狩りの訓練をしているのだ」というものである。遊びは基本的に「未来への準備」である。そして、未来は予期せぬものなので、遊びには空想力が存分に活用される。戦場で戦う、お化け屋敷を脱出する、お姫様になる、どれもが予期せぬ状況であることに価値がある。

 さて、上記の遊びについての書籍によれば、多くの動物が遊ぶらしい。全ての哺乳類のほか、タコや一部の魚、アリも遊んでいる(じゃれあっているらしい!)様子が観察されるという。

 さらに、進化の過程で生き物は、遊びに本能的に「楽しさ」が伴うように進化したとのことだ。それだけ、生き物の中で生き残るために「遊び」はかなり優先すべき行動に位置づけられているという。生き物が遊びすぎて自ら命を落とす危険にはまることもさえあるらしい(人間でも見られる)。それでも「遊び」が進化の過程から消えなかったのは、それを上回るだけの大きな利益が「遊び」にはあるからだという。

遊びは仕事の対極にはない

 このことが示してくれる大事なことのひとつは、遊びと仕事や勉強とを対極に置くべきではないということだ。
 遊びか仕事かではなく、むしろ重要な軸の起き方は、そこにどれほどの「想像力が伴う楽しさ」があるかどうかである。有能な建築家や商品企画者や文筆家があれこれと想像力を張り巡らし、自分自身もワクワクさせているとき、「遊び」と「仕事」が融合している。数学の難問をどうやって攻略しようかと探っている時、歴史上の人物間の関係性を心に描きながら歴史の出来事の理解を深めようとするとき、「遊び」と「学び」は融合している

 予期せぬ未来に向けての準備に焦点を当て、「遊び」の力を活用して対話や検討を行うとき、それはシリアスプレイと呼ばれるものになる。

 私も「想像力を伴う楽しさ」を失わずに仕事をし学ぶようにしていきたい。それが長く生き残るために、進化プロセスが示した知恵である。

(追記:2022年1月15日)
 記事の公開後、改めて記事で紹介した本を読み直していたら、「遊び」の対極は「うつ」だということと、「遊び」と「仕事」は引き立て合う関係、お互いに力をかけあって屋根を支える梁のような関係であるということが書かれていました。「仕事」と「遊び」は言葉や中心点は違うものの、近づいていくと境界がわからないほど混じり合っていくと思うので、融合している(状況によっては部分的に溶け合う)のほうがいい表現だと思っていますが...みなさんはどう感じられますか。

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