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カフェにいたベビーカー連れの女の人を見ながら。

育休中、夫婦それぞれ近所のチェーン店のカフェで作業したり読書したりする時間を作っています。

今日は午後に下の子の初めての予防接種なので、午前中に私がカフェ時間をもらい、歩いてすぐのいつもの店にいます。

10時過ぎ、店に入ると入り口近くの席に1歳になるかならないかくらいの赤ちゃんをベビーカーに乗せたママがコーヒーを飲んでいました。

子どもが生まれる前の私が見たら、もしかしたら「優雅でいいなあ」って、思っていたかもな。正直にいうと、ふとそう感じました。この想像力が欠けた自分の感覚を自戒を込めて残しておきたくて、あえてこうして書いています。
ましてやここはコーヒー1杯が200円台というチェーン店の中でもお手頃なお店なのに。


午前中にカフェにいるママを見て、「優雅でいいな」という気持ちは、どうして生まれるのか。
きっと、「家にいたってコーヒーくらい飲めるのに」という思いがまず心の底にあるからだと思う。
そんなふうに少しでも思っていただろう昔の私に対して、「だから何?」だし、「誰がいつどこでお金を払ってコーヒーを飲もうがその人の勝手」だと言いたい。

自分では、自分自身のことを「女はこうあるべき」とか「ママはこうあるべき」みたいな偏見からは遠いタイプの人間で、むしろそんな凝り固まった考えを持つ人たちを批判的に見ている側の人間だと思っている。
にもかかわらず、人間って不思議なもので、時に他人に対して余計な批判を(声に出さずとも)したり、偏見たっぷりに他人を見たりする。


いうまでもなく、そんな偏見を持たない人もいる。自分と違う立場の人に対しても、想像力を働かせて、慮ることができる人もいる。
ただ、私の場合は子どもが生まれて、自分がベビーカーに子どもを乗せてカフェに行く人間になってから、そんなママ・パパたちの境遇をようやく想像できるようになった。

おしゃれなカフェじゃなくてもいい。チェーン店のコーヒー1杯でいいから、ベビーカーも一緒でいいから、ちょっと家以外の場所で一息つかせて。
家でも作業できるけど、家以外の場所で、気分を変えて仕事をしたり、本を読んだり、ぼーっとしたりしたい。
子どもが寝ているこの数十分だけでいいから、外の空気を吸いながら自分の時間を過ごさせて。

一時も子どもと離れられない乳幼児との生活を続けていると、日々こう思う。

「24時間×毎日=子どもを見続ける時間」の生活の中で、時々訪れるほんの数十分、もしかしたら数分。そんな限られた貴重な自分時間の意味を、同じ境遇になってようやく分かるようになったのだと思う。


入店時にいた子ども連れの女性は、私が席について間も無く、泣き始めた子どもをあやし始め、そのまま店を後にした。
今日もこれから、いつもと同じように授乳して、自分や家族のご飯作って、洗濯して、洗濯干して、子ども寝ないななんて思いながらあっという間に夜になるのかな。

私もそろそろ、帰らねば。
自分の中にあった無くしたい負の感覚にも自覚的になりたくて、まとまらないままここに残しておきます。



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