お笑いに救われる

お笑いに救われる


私は都会が苦手だ

娘たちが幼稚園の時、転勤になり都心へ引っ越しした
地元から出たことのない私は恐怖だった

しかもきつい方言

近所の方と話をしていると
方言、こわい と言われた

いや、私地元ではやさしいほうですがと
帰宅して泣いた

えー地方ってどんな感じ?
地方を連呼され、地方に支えられてるのにと泣いた

まだ若かった、マウントの取り合いに巻き込まれたのだ

それから長女は幼稚園や学校に慣れなくて、泣いて帰宅した
笑う回数が減った

そんなとき、無料お笑いライブがあることを知り、幼い子供たちをつれて有楽町に行った

一時間前に行き、一番前を分捕った
まだ幼稚園児二人だ

生のお笑いをみたら絶対に元気になると確信があった

ライブが始まった
次女は、生で大きい声で喋る芸人さんに驚き固まった
フリーズしていた

長女は、椅子から転げ落ちながら笑っていた

やった!と思っていたら

FUJIWARAの藤本さんが

そこの椅子から転げ落ちてる子、舞台においで

と誘ってくれた

長女は嫌だと言いながら、足だけは舞台の方に向かっていた

いいから、と舞台にあげてもらった

そして原西さんと
◯◯(長女の名前)祭りだわっしょい、わっしょい をやろう と

楽しそうに長女も原西さんとギャグをして、握手をしてもらい、舞台から降りてきた

それまで、曇っていた目がそれから明るくなった

帰り際にじゃんけん大会があり我が家3人は負けた

が清清しく帰宅していると、若い女性が追っかけてきてくれて
良かったら、舞台良かったです
とぬいぐるみをプレゼントしてくれた

あの時FUJIWARAさんが舞台にあげてくださらなかったら、長女はまだ暗く殻に閉じこもったままだったに違いない

それからいままでのように方言は使い始めた

友達が喧嘩していたり、イジメられてる時の仲裁に使えると学習した

今でも私はFUJIWARAさんの番組をみるたびにあの時を思い出す

あの舞台が彼女の明るさを、天真爛漫さを引き出すターニングポイントだったから

そして、お二人の活躍を願ってやまない

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