話そう声を出して、消えない思いについて

 最近米津玄師さんの曲「メランコリーキッチン」にハマっている。微妙な男女の恋物語を歌った曲で、よくよく話し合った結果別れた恋を思い出す。
 彼女はなかなか思っていることを私に伝えてくれなかった。だから私はかなり考え込んだ。どれが正解の反応でどれが嘘なのか、本当好かれているのか、嫌われているのか、分からなかったから何度も聞いたけれど彼女は明確な答えを避け続けてやっと返ってきた答えは「異性としては好きじゃないけど人格的には嫌いじゃない」という答えだった。その後、彼女の願いで交際は解消、友達に戻るも身体は求められた。全くもって困った話。
 私にとっては嬉しくもあって、好きな女性に身体だけであったとしても求められるのが幸せだった。しかし、引きずる訳にはいけないから失恋から立ち直った頃に恋人探しを始めた、は良かったのだが身体まで求められなくなった。しかし、一緒にゲームはしてくれる。二人の時は凄く生き生きとしていて自信に満ちた目は格好よさすら感じるものがあった。彼女は星屑の如き輝きを発している。これが表に出ればいずれはスターになれると手を尽くしていたが期待のあまり「大勢に慣れるために大勢と一緒にあそぼう」などと言って精神的負担をかけてしまっていた。まず向き合ってまず出来ることからやるべきだった。彼女は外に出られない状態まで追い込まれていたのだから。視線恐怖症、私には見えないもの感じられないものに怯え精神を摩耗していた。目は情報の塊で幾億の情報が人混みの中では飛び交う、ある話によると日本人は人混みの中でもあまりぶつからないで歩けるそうだ。理由は不明、私が思うに日本人が歩く時、目と首の方向で行く方向を発しながら歩いており、それを受信する能力も鍛えられているのだと考えている。彼女は目と首の方向で行く方向のみならず悪感情やその他の感情を読み取ってしまうのだろう、そしてそれは正確でなく自分にとって悪い方向に読み替えてしまっている部分も彼女がこの世の地獄を味わっている理由だろう。一挙手一投足が彼女の自己卑下の材料になってしまうから電話ひとつするのも正直疲れる。でも報われて欲しいと思っている、地獄に住んでもがいている彼女が住みやすい環境を手に入れることが私の先ず第1目標だ。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?