せっかちと研究とエトセトセトラ

 せっかちというやつは人生の九割方損している、いや、損しなくてはならない。
 と少し思うくらいにはせっかちが嫌いだ。急かされるのも嫌いだし急かしている時のバタバタとした仕草を見ればこちらも焦りを覚えイライラとした感情が芽生えるから嫌いだ。思うに私がゆっくりのんびりマイペースクソ野郎なのも関係している。
 普段人と会う時も5分から1日ぐらいは遅刻してしまうことがあるため相手が帰ってしまうことも何度かあった。ゆえにせっかちは私の逆を行く敵なのである。せっかちと相対す時はせっかちに合わせなければという意識が働いて自分もせっかちのように振る舞うが頭の疲労が半端ではない、人間ではないレベルの頭の使い方をしないといけない。
 せっかちの生態として常に次の作業について考えているということがあげられる。故に次の作業の準備を前段階からしているのである。この次の作業のことを考えながら作業をするのは非常に頭に負担がかかることこの上ない。また、すべき動作が分かっている分、行動が直線的であるが待ち時間はスマホのバイブ機能の如く震えながら必要以上の動きをしている。
 ちなみにパッと見では同じに見えるただ急いでいるだけの人との違いはその間にある。行動と行動の間にあたふたする時間があり、これは次にする行動を前段階から考えていないことに由来するものである。
 私は考えた、せっかちかただ急いでいる人を科学的に判別するにはどうしたら良いのか?
 1つは目線である。目の動きがせっかちな人は早い、これは状況判断と次にすべき行動を瞬時に判断するためである。
 もう1つは脳波である。せっかちな人の脳波はそうでない人に比べると冷静さや想像力を司る部分の活動が弱いのではないかと考えられる。話は変わるが人は本を読むことでせっかちから脱却したという話がある。前頭葉は本を読むことでかなり鍛えられるとされることからせっかちな人が前頭葉の働きが弱いのではないかと考えられるのである。

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