ただ、焦り

 私は何かしらやってないと何かやらねばという焦りを感じる人間だ。
 高校の頃にそれが顕著だった。なにか爪痕を残さねばいけないと必死で物書きやら劇の台本やら秋の文化祭(文化祭とは別)で前に出て歌ってみたりしたが結局残ったのは思い出だけで小説の賞やら本の大会での地区大会優勝やらはできなかった。それでもバカやれる友人ができたのは最高かもしれない、高校の二年間は友人のおかげでバカやれた。奇人∧変人でクラスではっきり言えば浮いていた私がクラスでふざけた発言を続けるのには私を肯定する存在が必要でその友人は私のふざけた発言にも「いいんじゃない?」と返すような奴だった。
 年老いて今、同年代は四年制大学を卒業の年だ。私だって専門学校卒業のハズだった。夢破れて山河あり、別に何も残らなかったわけではないが人生のレールを踏み外して一流企業に就職は絶望的だ。同年の友達がバイト先にいる。そいつは英語ができてそれでもまだまだ就職前にスキルアップをしようとしている。すごすぎる。地元の後輩にもすごいのがいる。そいつは地元を盛り上げようとコネを作って回ってイベントまで立ち上げて人を集めていた。本当に行動力がすごい。私は歳食った。立派に大人しなきゃなんない歳なのに子供っぽいししっかりしていない、将来の夢なんてものはないから嘘にしがみついている。バカみたいだ。嘘を布教して嘘の良さを伝える活動ができれば良いとは考えていたりするけれど曖昧で金をかけるに値しない。買い手の見える絵を描けていないのだ。資本主義社会の中で自分のやりたいことをやるにはやりたいことと別に本業を持つかやりたいことを買い手が欲しくなる形に加工して売るという方法が考えられる。曖昧な形のまま金をつっこめば金の無駄になるだけだ。ただ、どうにかして見返したい、すごい友達や後輩を持ったんだからそんな奴らに顔向けできるように見返したい。同じ土俵まで登りたいのだ。

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