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自分の好きな事には正直に。やりたい事を応援してくれた親に感謝。

ずいぶん前に実家に帰った時に、高校時代に課題を入れて居たポートフォリオを「邪魔だから持って帰って」と言われ、とりあえず持って帰って来てから数年開ける事が無かったのだが、

アトリエを大掃除していて、何気無く開けてみたら、当時の課題と、沢山の表彰状が出て来た。

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全く覚えてない。。

何で貰ったのだろう?

東京美術文化協会からはほぼ毎年貰っている。

多分、小学校の時夏か冬かに都の美術会があったので、それだと思う。

近所のダイエーで行われた父の日の絵でも入選していて、ぺんてるからのもあった。

ヘェ〜私なかなかやるじゃん!

昔から美術だけしか出来なくて、算数、漢字の宿題は忘れたと言い張り、提出しない、、ノートは落書きだらけだし、ランドセルも革を定規で削って絵を刻んでる様な子供だった。

勉強出来る人に見えたくて、眼鏡に憧れて視力検査で見えません!を貫き、眼鏡を買って貰ったけど、走って学校から帰った時に落として無くした事もあった。
当時は視力が少ない事に憧れたが、今は1.8の視力が誇りだ。

あまりクラスでも目立つ子じゃ無かったけど、自分の好きな事には頑張っていて、親もそれには協力的だった。

四年生の時、アニメ 魔神英雄伝ワタル のヒミコになりたいと言ったら、衣装を作ってくれたし、卒業式の時には ストリートファイター の春麗になりたいと言ったら、中華街へ行ってチャイナドレスを選んでくれた。

どちらの衣装も学校に着て行っていたので、ある意味違う所で目立つ子だったかも知れない。。

やりたい事には許してくれたけど、時間と生活態度には厳しい親だった。

食べ物は絶対粗末にしたり、出された分は残してはいけない。
箸の持ち方、鉛筆の握り方、字の書き方も良く注意され、遅く帰るとベランダに出された。

人がどんな気持ちの時にどんな対応をするのかもちゃんと教えてくれた。


母の母、つまり、私のお祖母ちゃんは母が幼い頃に亡くなっていて、会った事は無い。
母が小学低学年の頃亡くなったそうだ。

「私は母親と言うものをあまり知らないから、自己流でごめん」と母は言っていた。

今思い返してみても、私達を『子供』と言う目で見ているのでは無く、一人の人間としてフラットに考えて対応していたのだと思う。

今私も子供たちに対して、一緒に成長して行く大切な仲間と言うような感覚で切磋琢磨している。

それが100%正解かは分からないけど、

私は今とても自分に正直に生きて居られていると思う。



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