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#15 本気で社会を変えるにはー消えた責任と自由の代償

人は分業を始めることで、ある限られた領域に集中して打ち込むことができ、それぞれが高度な専門性を磨ける環境が整ったことで、社会を効率的に動かすことができました。一方で専門外のことには全くの素人となり、科学技術が発展するほど、社会全体はブラックボックス(分からないことだらけ)で溢れるようになりました。

全体のことが分からないので、どこへ進んでいるのかも、どこへ進めば良いのかも分かりません。やむなく領域を細かく細分化し、役割と責任を決めました。「あなたの仕事はここまでで、この仕事さえしっかりとこなせば、あなたには何の責任も問いません。」という感じです。

うまく役割と責任が決められればいいのですが、科学技術の進歩、社会を取り巻く環境の変化は待ってくれません。原子力発電が事故を起こしても、国や消費者が補償することになりました。コロナウイルスの抑え込みに失敗しても、法的な賠償責任は誰にも問われません。気候危機が放置されていても同様です。結局は政治家を選んだ国民一人一人の責任に帰属されそうですが、自責の念を駆られている人はまずいません。責任者を決めたはずなのに、誰も責任を取らなくてよい仕組みになっています。

全体のことが分かりにくくなる中、人々は分かりやすさを求め始めます。分かりやすく説明してくれる人、何か現状を変えてくれそうな人、何不自由ない今まで通りの生活を保障してくれる人を渇望します。その結果、聞こえ心地の良い、感情に訴える政治家が台頭しました。本質的に問題を解決する必要はありません。表面を取り繕って、その場その場をしのぎ、甘い夢を持たせてくれる人を社会が求めるのです。それは熱狂的に受け止められた後に、ほどなくして飽きられ、また別の演者に取り替わられることで熱狂は続きます。責任は誰も取りません。その流れは起こるべくして起きており、容易に止められるものではありません。

私たちはブラックボックスをそのままで放置してはいけないのです。何も考えず、乗っかった方が効率的で楽な生き方ができるのだとしても、突然エラーを起こしかねない厄介ものです。いざという時は降りられる、その可能性を残しておくことが大事であるし、本来は国が責任を持って、それを先導して作るべきものです。

政治を変えたいと思った時、あなたはすぐに立候補できるでしょうか?「できる」と応えられる人はめったにいません。政治が分からない、社会が分からないというのもあるでしょうし、かと言って仕事を辞めて何年も勉強し直せる資金的なゆとりを持つ人もそういません。地盤も実績も知名度ありません。国政選挙では高額の供託金を預けなければなりませんし、選挙費用もばかになりません。何もかもがなく、国からの援助もありません。政治とは、極めて限られた人で運営されている排他的な場所で、見かけだけの「立候補の自由」「投票の自由」を与えられているだけになっています。

ブラックボックスを減らすためには、誰もが十分な教育を受け、自立していなければなりません。常に人は間違う可能性があることを念頭に、政治が間違ったときにやり直せる機会をシステムとして内在しておかなければなりません。民主主義は”自由”の代償として、とても大きな責任とコストがあるのです。

このような話をした時、自分のような人よりももっと優秀な人がいる、だから自分には政治家にふさわしくないと思う人もいるでしょう。けれど裁判員制度を考えてみてください。民意を裁判に反映するために、法律の素人である市民がその感性に従って法廷で判決を下します。情報を集めるところ、法律で分からない部分についての相談は、専門家がきっちりとフォローされます。裁判員には正確な”法律の知識や運用”が求められているのではなく、「何を重要と考えるべきなのか」という、明確な答えのつけようのない価値観が問われています。

当然ですが、政治家になるにあたって最低限の知識や教養は不可欠です。けれど、専門的な部分、情報を収集したり、必要なところを専門家に相談にしたりする部分は"制度的に代替"が可能です。政治家に何もかもを求めることが間違いであり、政治家を正しく補助する仕組みが十分でなかったことが問題なのです。付け加えるならば、政治家が市民との間に壁を作ってしまっていて、常日頃から市民の政治参加ができていないこと、見本となるような熟練した議論や受け答えが見えないこと、政治のディベートに触れる機会が日常生活で圧倒的に不足していること、ひいては義務教育で民主主義とは何なのかを十分に学べないことが問題なのです。

「音楽が鳴っているうちは、踊り続けなければならない」と、サブプライム住宅ローンの問題が起こり始めた時に述べられた言葉があります。この社会では、システムに疑問を抱かず、一心不乱に踊り方を覚えるのがうまく生きていくコツです。ですが、もう誰かに踊らされることを止めなければいけません。私達は何もしない選択肢を選んだ結果、将来ひどく後悔するかもしれません。けれども、私達の子どもや孫は、その後悔すらできず、私達を恨むことしかできないかもしれません。私達の肩には、大き過ぎる自由と責任がのしかかっています。

(#16へ続きます)


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