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後悔しない生き方

こんにちは。
沖縄宿の準備中のKikiです。
今回、オーストラリア留学中に出会った
岡崎メイ(仮名)さんをインタビューしました。
出会った時からパワフルで勉強熱心な彼女。
留学中から今もなお、メイさんの活動には刺激を受けています。

そんな彼女は今現在に至るまでどんな人生を歩んできたのか?
社会人の先輩として、今の時代に悩む後輩へアドバイスをいただきたい!
そんな思いでお話を伺ってきました。
専門学校や大学を卒業して「働く」ことが当たり前な世の中ですが、転職や今の仕事に悩む世代の人が一人でも多く”挑戦することに”後押しができますように。

岡崎メイさんとの出会い


よく放課後に勉強&卓球してました(笑)

出会ったのはオーストラリアのNoosa(ヌーサ)と呼ばれる小さな田舎町。
その田舎町に、1つしかない語学学校で出会ったのをきっかけに仲良くなりました。
メイさんの歳は私よりも1つ上。
語学学校には私より2か月前に入学していたため、クラスも異なり上級クラス。
世界各地のからきている学生との会話も難なくこなしていた姿を見て「憧れ」を抱いていたのが私の最初の印象です。
授業終わりにはいつも自習室で勉強をしていたメイさん。
その隣で真似っこをしながら私も勉強していました。
自習の最中には、毎日のようにいろんな話題について討論しました。
「私ならこう思う。メイさんはどう思う?」と意見を交換し合う。
私が表現できない思いを言語化してくれて、また異なる意見を理解した上で自分の思いも伝えてくれる。
そんな時間がとても楽しく印象に残っています。

選択した道をベストに


提供:メイさん
    小学校時代

小学校から中学校と9年間剣道部に入っていて、地区大会では選抜に選ばれる選手だったとのこと。
高校に入って剣道を続けることも考えたが、全国1位の選手を輩出するほどの剣道部。
土日も休みなく練習という剣道部に入部する勇気がでず結局は、ブラスバンド部に入部を決めたそう。

提供:メイさん
   高校時代


ブラスバンド部に入ったきっかけは、「兄が所属している公式野球部が地区大会でベスト4になり、部員が頑張る姿に心震えた。野球部のマネジャーという立場の選択肢もあったが頑張る人の応援することが好きな自分に気づいた。」
試合観戦をしながら応援できるブラスバンド部に入部を決意。
そんな高校1年生のメイさん。
しかし、9年間の剣道人生からブラスバンドという全く異なる環境に入り込んだメイさん。その環境に馴染めず、目標もないまま不完全燃焼な日々が続いた。なぜ自分は剣道から逃げたのか?剣道部に入らなかった自分を責めたという。
「そんな高校時代だったけど、一つ学んだことは、剣道を続けないと決めた自分もいるのは事実。じゃあ自分が選択した環境をいかにベストを尽くせるかだよね。と気づき、そこからの高校生活は楽しく過ごせた」とのこと。
「その気づきを発見できなかった時は、家に帰ってきては母に嘆いていた」と笑いながら話してくれました。

海外経験と日本生活のギャップ


提供:メイさん
          インドネシアのインターンシップ時代

昔から国際的な仕事に就きたいと考えていたため、
オーストラリア留学で英語を習得後、インドネシアで海外インターンシップへ参加を決意したメイさん。
「インドネシアでの生活は衝撃の連続だった」と語る。
本来であれば小学生ぐらいの年齢の子供たちが、お金を稼ぐために、学校にも通わず売れるものは無いかとゴミ山に、わんさかいたという。また街中ではテロ事件もあったという。
日本での仕事があることや食べ物があるという生活は、ここインドネシアでは当たり前ではないことに衝撃を受けた。
大学4年次を休学していたメイさんは、日本に帰ると就職活動真っ只中の同級生たちに対して「自分の可能性を自分で蓋をして、小さな世界に閉じ込められている人たちに見えた」と語る。
「日本は、インドネシアより環境に恵まれている。自分の可能性を信じて挑戦できるチャンスがあるのに。内定をもらった友人が、職場の配属先で自分の人生が勝ち組か負け組になるかという小さな悩みで悩んでいることに憤りを感じた。と同時に、人生何が起こるかわからないからこそ明日死んでも後悔しないように生きようと思った。大学の4年次を休学してまで行った海外生活で得た経験は今でもいい決断だったと思う。」と話してくれました。


「天職」に出会った。


提供:メイさん
      現職での研修風景

メイさんが今在籍している会社は、”国内外にあるさまざまな社会課題を日本企業がどう解決していくかということ”をメインにプロジェクトや研修を提供する事業を行っているという。
研修プログラムを組んで実際に解決できる人や資源を送り、現地行って共に解決する。
一方で、課題解決をしようと派遣した日本企業の社員たちが、課題の当事者として現地の人と会話をすることで、それまでの当たり前を手放し、新しい視点を得て人生が変わる様子を何度も見た。

「それは、インドネシアで受けた”衝撃”あの頃の自分を見ているようだ。一方的な支援ではなく、人と人とが交わることで課題の当事者も日本企業の社員たちも視野に広がっていく。そのような場やきっかけを作れることに、毎日の業務が楽しくて仕方ない。」と話すメイさん。
前職はゲストハウスの運営会社で現場業務をこなすマネージャーをしていたとのこと。
「世界中の旅行客を出迎えるゲストハウスの運営と、現在の仕事には共通点がある」と話すメイさん。その共通点とは、外国人と日本人が交流をすることで多様性を受容する人々が増えることと、それぞれの違いを認識することで自分らしさを考え直すことができることだという。

提供:メイさん
    現職のプロジェクト風景

実際今の会社を応募すると決めた理由は、企業理念と働く社員が同じモチベーションで業務をしていたとのこと。
「社員一人一人が真剣に社会課題と向き合い、解決方法を課題の当事者と共に、日本企業のリソースを活用しながら模索する。
熱い思いを持った仲間と共に働けることが本当に最高です。」
と話してくれました。


編集後記 今を生きる若者へ

そんなインタビュアーの私も先月退職を決意し、宿の準備を進めていますが、周りを巻き込むことで、ほんとにうまく行くのか?と不安になることも多いです。ですがメイさんからは
「今いる環境が全てではない。
行きたいと思ったところに行くことや、やりたいと思ったことをやってもいいじゃない。
私もおばあちゃんになったらゲストハウスをしたいなと考えていたこともあったが、おばあちゃんになるまでに死ぬ可能性も0ではない。そう思ったら今やりたいと思うことを今やった方が断然いい。それはインドネシアで感じたあの衝撃からきている。また自分で選んだ道をどんな状況でも自分次第では変えられる。と感じた高校時代の経験をもとに私は、今を一生懸命に生きる。あなたは人を巻き込む才能がある。宿を運営するチャンスを掴んだんだからそれを継続できるようにがんばれ」と励ましてもらいました。(笑)
人それぞれ価値観はや考え方はさまざまですが、今を生きる若者へ届いてほしいそんなインタビューでした。









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