Qualia/ぜろから☆すた→と

メアリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋から白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査させられている。彼女の専門は視覚に関する神経生理学である。次のように想定してみよう。彼女は我々が熟したトマトや空を見るときに生じる物理的過程に関して得られる全ての物理情報を手にしており、また「赤い」や「青い」という言葉の使い方も知っている。例えば、空からの特定の波長の光の集合が網膜を刺激するということを知っており、またそれによって神経中枢を通じて声帯が収縮し、肺から空気が押し出されることで「空は青い」という文が発声される、ということをすでに知っているのである。(中略)さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろうか。彼女はなにかを学ぶだろうか?

What Mary Didn't Know(1986) メアリーの部屋 (https://ja.wikipedia.org/wiki/メアリーの部屋)

1986年のフランク・キャメロン・ジャクソンの記事「What Mary Didn't Know」では、この思考実験を通じてクオリアの存在を示しています。この思考実験では、マリーが初めて赤を見たときに「わぁ」と言ったことが、彼女が以前は知らなかった何かを知ったことを示しています。

クオリアという言葉は、ある種の個人的な感覚を表すために使われ、哲学者ダニエル・デネットはクオリアを「伝えがたい」「内在的」「個人的」「意識に直接現れる」ものと考えています。シュカニーナがこの哲学的な用語をこの歌の中心概念として選んだことに驚きました。彼はこの歌を通じて自分の内面の感覚を伝えたいと考えているため、「クオリア」という言葉を使用しています。

歌詞の中で、彼は自分の心の奥を覗いている(ボクのココロを覗いてる)と述べ、自己に向き合う際に「スキ!キライ?スキじゃない」「キライ!スキ?キライじゃない」と自分が自分を好きか嫌いか分からないことに気付きます。ある事柄に対して強い恐怖を抱きつつ、他の事柄に対して強い期待を持つことから、どう感じるべきかはっきりと言えない自分に直面しますが、それでも「自分だけが感じられる自分」です。

歌詞では「自分に対する」孤独と独自性だけでなく、「世界に対する」感じも表現しています。彼はいくつかの英語のフレーズを使って自分と世界に対する態度を表現しています: Goodbye to Lie は真実の自分に向き合いたいという意味です Good night…My night は夜が自分自身に向き合う時間であることを意味します Know my starlight は自分だけが自分のある側面を理解していることを意味します Moment of Light と Mornin' Qualia は自分が感じるある種の朝の光を描写しており、それを「Mornin' Qualia」と呼んでいます。この感覚のもとで、毎日が新鮮になり、「Good Day, be Smile」と持ちながら、「Morning till night」と夜に至ります。

彼は「自分だけが感じられる自分」と「自分だけが感じられる世界」を伝えたいと思っています。内心ではこの感覚を好きだと感じていますが、好きか嫌いかは言い表せないかもしれません。それがまさに「クオリア」という言葉で言い表されないものです。歌詞では「光」という概念がマリーの話への敬意として伝えられており、マリーが初めて赤を見た時の「赤を見る感覚」をどのようにも説明できないことが示されています。

この歌「クオリア」は「ぜろから☆すた→と」のグループの歌としても機能し、「ぜろから」というのは何か新しい、全く新しい始まりを意味します。人が自分の感情を深く感じる時、それはマリーが初めて赤を見た時の驚きに似ており、まるで赤を再発見したかのような感覚です。この歌は、自分自身と世界を再認識する感覚を表現しようとしています。

歌の最後に、作家は目を閉じ、自分だけの Mornin' Qualia を感じ、「これが私の Mornin' Qualia」と言います。理解されなくても構わない、なぜなら誰も私のクオリアを理解できないからです。それは私だけが感じることができる光⭐︎です。

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