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設計の経歴

毎日お疲れ様です

私の今までの大まかな経歴については前記事を参照ください(特に参照する必要はありませんが、リンクのコピペやってみたかったので笑)

物流機器メーカーでは5年いたのですが、社会人になって初めて働いた会社でしたので、いろいろな意味で良い経験になりました。大企業でしたが、かなりブラックな環境ではありました。配属されてからというもの、帰宅は午前様でしたが残業代は出ませんでした笑 ですが、不思議と行きたくないとは思いませんでしたし、経験すること全てが新鮮だったので、楽しく会社に行っていた記憶があります。ただ、数年経過すると、今の自分は”機械設計者”と呼べるのだろうか、手配しているだけになっていないかとても不安になりました。技術がない・・・時間ができるといつも自分の将来についていろいろ考えてしまうようになりました。自分は設計に向いてないのでは?と考え続けたこともありました。

そんなとき、私にとって人生の岐路のような出来事が起こりました。

所属部署の部門長は私のことが大嫌いだったため、私を他部署に応援に出したのです。応援に行った先で、師と仰いでいる方に出会いました(以下師匠)。

その時は、”何か厄介払いされたみたいだ”ととにかくやる気にならない日々でした。師匠から頼まれた仕事も定時で片付けて、毎日定時で帰っていました。なんなら、定時前でさっさと終わらせて、PCで遊んでたこともありました。師匠は”あんた手早いな”とずっと褒めてくれていましたが、やる気がないのでさっさと終わらせたかっただけでした笑

ですが、日々師匠はいろんなことを丁寧に教えてくれました。自分もだんだんと心を開くようになり、教えを乞うつもりで、師匠が帰るまで(師匠はこの当時定年前でしたが、夜明け前まで働いていました笑)一緒に仕事をしながらいろんなことを吸収していました。

”設計は奥が深くて、難しいけれど楽しい!”

そう思うようになってきました。

そう思えたのは師匠のおかげですし、諦めないで最後までじっくりやることを教えてくれたのも師匠でした。感謝しても感謝しきれませんし、今でも師匠がいらっしゃったからこその自分だと思っています。

そこから数年して、私は家庭の都合で他社に転職しました。(地域的な話でどうしてもそうしなければなりませんでした)

基板製造メーカーの生産設備の設計部署が募集していたので、そこに応募しましたが実際配属されたのは生産技術でした。生産技術は機械と電気両方の知識、技術が必要なのと、設備について誰より詳しくないといけません。入社して2ヵ月でやめてしまったのは、自分の力のなさと、おもっていなかったところに配属されたことで毎日会社に行くのが嫌になったからです笑

もっと下調べをするべきでしたが・・・でも辞めると決めたらとっとと辞める! 面接して採用してくれた方には申し訳ございませんでしたが、私の意志は固いのでさっさと辞めました。

そして、すぐに機械設計の会社(派遣などもやっている会社)に入り、12年ほど一般産業機械の設計に従事しました。

そこでは本当にいろんな装置の設計をやらせていただきました。自動車関係、包装機関係、プラント、治具、製品設計、試験装置など、ありとあらゆるお客様とお仕事をさせていただきました。

その後は独立となりますが、最後の設計会社での経験で技術を高めて独立に至ったことは言うまでもありません。

ただ、あのとき、師匠に出会わなければ、師匠に設計の楽しさを教えていただいたからこそ、今の私があります(くどいですが・・・笑)

設計的な記事についてもまた書いていきたいと思います。

読んでいただいてありがとうございました。

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