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おとんの闘病

9/24 7時頃 おとんは旅立ちました。
最期は穏やかで、苦しみもなくあの世に向かいました。
ですが、それまではいろいろと苦労したと思います。
ここに記すことで、死生観であったり、親との関係であったりを考えるよい機会になれば幸いです。

おとんは、もともと20年前に潰瘍性大腸炎を患いました。
当時はまだ情報も多くなく、治るものなのかどうかすらもよくわからずでしたので、不安な日々を過ごしていました。そのとき私は大学を卒業し、社会人になったばかりでした。GW、お盆、正月には実家に帰りましたが、その度に”体調はどうだ?”と聞くのが恒例になっていました。最初は波があったその病気も時がたつにつれ、ありがたいことに落ち着いてきました。
私は、一安心して、いつしか体調のことは聞かなくなりました。
おとんも体調が安定していることと、定年退職して時間があったため、おかんとあちこち旅行に行ったり積極的でした。ただ、おかんはまだパートにでていたため、あまり乗り気ではありませんでしたが・・・笑

そんなある日、今から3年前、めったに電話をかけてこないおかんから電話がかかってきました。”お父さん、胃癌だった。ステージは3だって・・・”
今にも泣きそうな声でした。
癌が発覚し、手術したのが2018年7月。
そこから、抗がん剤治療が始まりましたが、食欲がなかなか出ず、他の副作用もひどいため、先生と相談して2019年1月頃、抗がん剤治療を中止しました。その後、食欲が回復して、また元気に動けるようになりました。
好きなゴルフや、水泳、旅行いろんなことにチャレンジしていました。

ところが、2020年3月、癌が再発、転移が見つかりました。
再び抗がん剤治療になりました。抗がん剤というのは、癌細胞を攻撃するのですが、良い細胞も攻撃してしまうのが難点です。医師はおとんの体調に合わせていろいろ抗がん剤を変えて対応してくれました。ただ、副作用はひどくなるばかり。ただ、本人も運動したり、ご飯もなるべく食べて、頑張って戦っていました。そして、2020年12月には腫瘍マーカーの数値がかなり低い数値になったと喜んでいました。

しかし、年明けすぐつの2021年1月、いつものように私は”体調はどうだ?”とおとんに電話しました。
年末の話では随分調子が良さそうだったので、”いつもと変わらん”という答えを期待していましたが、電話の声がかなり暗く、続いておとんの口から出た言葉に絶句してしまいました。
”肺に水が溜まりはじめた。そのうち苦しくなるようだ。医師から年を越すのは無理だろうと言われた”
なんて声をかけたらよいかわかりませんでした。
ただただ、あまり先を考えずに1日1日ゆっくりやっていこう。としか言えませんでした。
それからまた抗がん剤治療を頑張っていました。
手足はしびれ、だんだん自由もきかなくなり、歩く気力もなくなってきました。
お盆に実家に帰ったときは、まだ話もしっかりでき、ウォーキングは少しの距離でしたができていました。

そして先月上旬、おかんから、”医師からあと2、3ヵ月と言われた”と電話がありました。おかんも、おとんをずっと見ていてかなり辛そうでした。僕はおとんに電話をかけました。
おとんは”お前らには言いたいことは全て言った。満足だよ。もう少し生きたかったが、これも運命だ。”と言いました。
僕は”余命なんて、神様じゃないとわからないから、また1日1日ゆっくりいこうよ”と言い、電話を切りました。
ですが、なんとなく予感がして、今この電話が最後になるのではないかと思い、再び電話をかけました。
”おとん、俺、おとんの子どもでよかったわ。ありがとう”と伝えました。
おとんは”こんなに嬉しいことはないな。”と言いました。
こんな時にあたらなくてもいいのに、結局、これがおとんとの最後の会話になってしまいました。

9/18、会いに行く予定にしていましたが、おとんは台風が直撃するから来るなといいました。無理に行っても心配させるのもあったし、治療に専念してほしいと思い行きませんでした。
9/20、食欲がほとんどなく、栄養がとれていないため、母は病院に相談
9/22、主治医から入院するよう連絡あり入院
9/23、午後3時、トイレに行きベッドに戻ったあと意識不明になる
9/24、午前7時、永眠

駆け足でした。
あっという間でした。
最期の言葉は、おとんらしく、おかんへのこんな言葉でした。
”毎日こんでええでな。気を付けて帰れよ!”

今まで、医師、看護師さん、薬剤師さん、おかん、いろんな人に支えられ闘病していました。動かなくなる手、足。耳が遠く、補聴器をつけている中で、ストレスは相当だったと思います。
僕はポジティブ思考をおとんにも求めてしまっていました。もっと優しく、もっと寄り添ってあげればよかったと思いました。
おとんは僕たち兄弟には辛そうなところを見せたくなかったようですが、おかんには”死ぬのが怖い””もっとこの家族と一緒にいたかった”と言っていました。僕は知らないうちに弱音を吐かせないようにしていたのかもしれません。

死を間近にして、頑張れと言われて頑張る人もいますが、なかなか難しいと思います。死の恐怖に寄り添うことで、いくばくか気持ちが穏やかになるのかなと思いました。

おとんが旅立ち、喪失感と、もう苦しまなくていいんだっていう安堵感、もっといろいろと一緒にしたかった後悔、いろんな感情が毎日でてきます。
でも、悲しがっているばかりでは、おとんはきっと許さないと思います。
小さい頃僕は泣き虫で、おとんに”そんなことで泣くな”とよく怒られましたので、大人になってからは人前では泣いていません。なのでおとんが天に昇るときも、泣きませんでした。
その日の夜、1人布団の中で声を上げて泣きました。
”人前では泣いてないから許してくれ”と言いながら。

おとん
長い間、頑張ったな。よう頑張ったよ。
もう苦しまんでええな。お疲れさん。
ゆっくり休んで。
おかんのことは心配いらんで。
約束は守る。
ありがとう。おとん。大好きやで。

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