徒然ニンジャ 2020/5/10

・注意な・ネタバレになり得るとりとめもない考察であり、可能な限り本編限定情報の明記を回避しているが、どうしても題名などの断片情報は出てしまう。困る人は退出を。











現在進行途中の一件が終わるまで断言はできないのだが、

ピルグリム・ダークウォーター終盤にてデスドレインは何に憤ったのか、というのは少し考えるべきテーマだ。

まずデスドレインの人となりを考える時、彼は邪悪である。そして露悪的でもある。

彼は善良な人間に対して理不尽を振るうことに躊躇は無い。善悪は彼の思考に影響する要素ではない。

では彼のアコライトへの執着は何なのか。あの叫びに込められたものは何なのか。

デスドレインは(少なくとも第三部以降は)神に護られていると嘯きつつも自分がインガオホーから逃れ得る真に無敵の者だとは思っていない。いつか惨たらしく過去に収穫されることを待ちわびている節すらある。

このインガオホーこそ真にデスドレインが望む理念だとすると、身を、果ては命をも惜しまないアコライト達の献身が報われない(インガオホーが無い)結果にあんなにも憤っているのではないのか。と整合性が見えてくる。



ただの邪悪な狂人の気紛れの可能性も否定できないんだけど。


一方でアコライトはアコライトで、デスドレインに一片でも慈悲の心が目覚めるなら四肢を千切られ爆発四散しても良い覚悟で接していやしないか。多分その悲壮が付き纏う限りデスドを救えないんじゃないかと思うんだが。

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