2022年に読んだ海外漫画
『Lights, Planets, People!』
脚本 モリー・ネイラー
作画 リジー・スチュワート
刊行 Avery Hill Publishing
(あらすじ)
「感銘を与える女性(Inspiring Woman)」というテーマの大学の講義に講師として招かれた天文学者のマギー・ヒル。事前に作ってきたスライドが機械の不調で使えなくなり、マギーは自身の歩んできた人生を学生たちに語る。
子供の頃にアポロ計画をテレビで見た日から、宇宙に憧れを持っていたマギーは、やがて天文学者となる。そこに至るのは容易ではなく、女性であることへの蔑視や、彼女が生来抱えている双極性の気質との折り合いなど、いくつもの苦労があった。
マギーはある日偶然入った喫茶店で気の合う女性と知り合い、やがて2人は恋人同士になる。
一方、彼女の天文学者としての人生をかけた計画「エルピス」が進行していた。それは、太陽系外に居住可能な惑星を探すための探査機を打ち上げるというものだった。
軌道に乗ったかのような日々だったが、そこには常に影がつきまとっていた。
(感想)
この物語は、主人公が大学の講義でこれまでの出来事を語る形式で始まるため、最終盤以外は過去形で語られます。自分自身でさえ制御できない心の有り様、大き過ぎる目標を掲げた宇宙計画、現実の非情さ、ままならない人間関係など、いくつもの出来事に振り回されてきたマギーの人生は、劇的な物語とは無縁のものに見えます。そして、今の彼女にはそれらは全て過ぎ去っていったもの、終わったものに映ります。
宇宙に憧れた一人の小さな人間を描くこの物語は、ミクロとマクロの対比が印象的でした。広大な宇宙空間を住める星を探して飛び続ける探査機。そして、地上で自身の価値や、他者との関わりを求めて、光と影の間を彷徨い歩く主人公の姿が重なり合い、主題に奥行きをもたらしています。
タイトルと題材の通り、このコミックでは「光と影(街の灯りや星明かり、夜など)」「上昇と下降」のモチーフが多用されています。特にロケットの上昇と、主人公の精神状態の下降が対比されながら表される、打ち上げのシーンが印象的でした。
最後に主人公は希望を見出すことが出来ますが、それは劇的なカタルシスとは遠いものです。しかし、物語の中では直接描かれることはなくとも、より良い方向へ進んでいけるだろうことを示唆するものでもあります。その辺りの描き方に題材と向き合う誠実さが感じられました。派手な展開はありませんが、上手く進めなくともこれまで生きてきた(そしてこれからも生きていく)ことを肯定してくれる作品です。
元は劇の脚本として書かれた物語だそうです。
『The Bone Orchard Mythos : The Passageway』
脚本 ジェフ・レミーア
作画 アンドレア・ソレンティーノ
刊行 イメージコミックス
(あらすじ)
カナダの地質学者ジョン・リードはある孤島に調査に向かう。島の灯台に独りで住んでいる変わり者の老女サリーに案内された彼は、調査対象の巨大で底が見えない空洞を見せられる。ドローンを使って穴の内部を撮影しようと試みるが、奇妙な現象に襲われる。
ジョンは子供の頃、母親が水死する事件があり、海にトラウマを抱えている。母親の遺体からは眼球が無くなっていた。島の穴は空になった眼窩を想起させ、暗い海は過去を呼び起こす。
彼は孤島と空洞の調査を進めていく中で、邪悪な深淵に足を踏み入れていく。
(感想)
『Gideon Falls』のコンビによる本作は、新たなホラー神話大系「The Bone Orchard Mythos」の序章です。
過去に起きた身近な惨劇、何気ない日常の風景の中に交じる不穏さ、裏側にある巨大で人知を超えた悪意の存在など、それぞれの要素が示唆される段階に留まっていますが、安定した脚本の牽引力と、尽きないアイディアに満ちたアートが楽しめ、今後ますます深化していくであろう物語へ期待が持てます。地面に空いた底の見えない穴と、眼球を失った眼窩を重ね合わせる描写のように、それぞれ異なる物同士を重ね合わせながら、重層的に物語を押し拡げていくダイナミックなアートが魅力です。
「The Bone Orchard Mythos」シリーズは現在、第1章にあたる「Ten Thousand Black Feathers」が刊行中、2023年に刊行予定の第3章までのタイトルが発表済み、2024年以降も継続が予定されています。
『The Underwater Welder』
脚本、作画 ジェフ・レミーア
刊行 Top Shelf Productions
(あらすじ)
水中溶接工として働くジャックは、妻の出産が間近に迫っており、これから父親になろうとしている。しかし、平穏なはずの家庭生活を送りながらも、彼は言いようのない不安に苛まれていた。
ジャックは実の父親に対して、解く術のない蟠りを抱えており、自分が父親になることに不安を覚えている。彼の父親は不甲斐ない人物だった上に、ある嵐の日に突然行方不明になっていた。それが彼のトラウマだった。
そんな中、仕事をしている最中、海底であるはずのないものを見つける。彼が少年の頃に失くした懐中時計だった。そこから、ジャックは過去と向き合うことになる。
(感想)
DCやマーベル等で数多くのタイトルを手掛けながら、オリジナル作品も無数に送り出しているベストセラー作家、ジェフ・レミーアは脚本に留まらず、自身で作画も手掛けることがあります。
レミーアの描く絵は繊細で、常に不穏さを感じさせるもので、目立った事件が起きているわけでもないのに、日常が不安に侵食されていく様を引き立てています。しかし、ただ意味もなく暗鬱なわけではなく、最終的には意外なカタルシスでもって物語は終わります。なぜ主人公が水中溶接工として設定されたのか分かった時には感動を覚えました。
この物語は、精神的なホラーを経由した感動的なドラマですが、極めて個人的な物語でもあるように感じました。
『The Tea Dragon Society』
『The Tea Dragon Festival』
脚本、作画 ケイ・オニール
刊行 Oni Press
(あらすじ)
角に特別な紅茶葉が生える幻獣、ティードラゴン。茶葉には、彼らが共に生きてきた飼い主たちの記憶が蓄積されており、紅茶にして飲むことで記憶を追体験することができる。そんなティードラゴンを育てる技術を持った人々は、かつて「ティードラゴン・ソサイエティ」を結成していたが、今となっては散らばり、わずかな人数が残るばかりとなっている。
第1巻は小鬼の鍛冶職人の娘グレタと、予知能力を持った少女ミネッタの交流を中心とした物語。持って生まれた能力の影響から記憶力に不安定さを抱えるミネッタと親交を深めていく中で、グレタは自分にできることを見出していく。
第2巻は山菜採りが得意な少女リンと、80年もの間眠りについていたシェイプシフターのドラゴン、エドハンの物語。本来、村の守護者として人々と共に生きるはずだったエドハンは、ある理由から長い眠りにつくことになり、失われた時間と自身の価値について悩んでいる。
(感想)
ニュージーランドのイラストレーター、ケイ・オニールによる、全3部のファンタジーです(3作目「The Tea Dragon Tapestry」は未読)。それぞれの物語は独立しており、単独で楽しめます。
各巻に共通するのが、ティードラゴンの育成に長けた獣人の魔法使いヘゼキエルと、彼の相棒である剣士エリックです。自分自身のあり方に不安を抱えている登場人物たちは、ティードラゴンと関わっていく中で変化していきます。
どちらも、「他者との関わり」と「記憶」が主題となっており、愛らしく親しみやすい絵柄も相まってとても読み易かったです。登場人物たちはそれぞれに一様でなく、種族や出来ることに違いがありますが、それは当たり前のこととして描かれています。今だからこそ読まれるべき作品だと思います。
『Defenders』
脚本 アル・ユーイング
作画 ハビエル・ロドリゲス
刊行 マーベルコミックス
(あらすじ)
魔道士シズ・ネグの時間魔法を使って、遥かな過去に逃亡した科学者のカルロ・ゾタ。時間軸に干渉されることを防ぐため、ドクター・ストレンジはタロットカードを使って選出したメンバーとともに、過去の宇宙へ向かう。現在のマーベル宇宙(8巡目)から、6巡目の宇宙(純粋な科学主義による文明の世界)へ。そして更に過去の宇宙へと。
(感想)
特に印象的なのは、4巡目の宇宙の物語でした。そこは想像力の原型(アーキタイプ)の世界であり、「過去のもの」たちと「未来のもの」たちが「内戦」を続けています。そこでメンバーの一人、「クラウド」が起こした行動によって、この世界の不変だった法則にある変化が訪れるのですが、それは作者自身の創作や業界の今後へのスタンスの表明に見えました。
脚本の奔放さに肉薄する自由闊達なアートも魅力的でした。
直接の続編に『Defenders Beyond』があります。
『Temple』
脚本、作画 ジャック・T・コール
刊行 ShortBox
(感想)
以前感想を書いた『The Unsound』のアーティスト、ジャック・T・コールによる絵物語です。
イギリスの独立系出版社から刊行された本作は、文章が1コマに収まる分量(2センテンス)のみで、解釈の仕方は読んだ人の分だけあるような作品です。個人的には、心理学者ユングが臨死体験時に見たという夢を想起しました。
出版社のTwitterに挙げられていた表紙絵を見て買いましたが、本編も同様に密度の高い世界観を楽しめました。