『The Unsound』感想
『The Unsound』(2018年、全1巻)
脚本:カレン・バン
作画:ジャック・T・コール
刊行:Boom! Studios
1. あらすじ
物語の舞台となる「聖カッシア」は、1816年に設立、1980年代半ばに資金不足から一度閉鎖し、数年前から運営が再開された、特異な経歴を持つ精神科病院である。
「聖カッシア」に看護士として勤務することになったアシュリ・グレンジャーは、赴任初日から奇怪な現象に見舞われる。彼女の向かう先々には狙ったように無数の剃刀の刃が置かれ、薄気味悪い3人組の男たちが自分たちを監視するようにうろつき、患者たちは数々の謎めいた言葉を告げる。
アシュリは院長に相談するが、彼には心労が原因とされ、カウンセリングを受けることになる。だがその最中、患者たちが突然狂乱し、暴動が始まる。
アシュリは職員らと、常に粗末な仮面を身に着けている「クセルクセス」と名乗る謎の男の先導により、病院からの脱出を図る。彼に誘われて向かった先には、封じられた地下階へ通じる巨大な扉があった。一行はその先で、現実を侵蝕する狂気じみた幻覚に襲われる。
やがて辿り着いたのは、現実と薄皮一枚隔てて存在する異世界「The Unsound」だった。アシュリはそこで、自身の正体と過去に隠された秘密を知ることになる。アシュリが聖カッシアに赴任したことも、地下深くの迷宮を彷徨うことになったのも、全て偶然ではなく、必然だった。彼女はこの世界に呼び戻されたのだ。世界を統べる「刃の母」として。
When strange occurrences begin in the midst of Ashli's first day at Saint Cascia, she's forced to escape through the labyrinthine bowels of the asylum to not only help her fellow nurses, but to save herself in THE UNSOUND. #NCBD pic.twitter.com/flnU5HbVZC
— BOOM! Studios (@boomstudios) May 16, 2018
2. 感想
脚本担当のカレン・バンは、マーベル・DCの二大出版社で数多くの作品を手掛けています。その中には『デッドプール・キルズ・マーベルユニバース』『マーベル怪獣大進撃』『ヴェノムバース』等、邦訳も数多くあります。最近ではヴァリアントコミックスの人気タイトル『Shadowman』を担当しています。
また、大長編『Harrow County』(ダークホースコミックス)や、映画化もされた『The Empty Man』(BOOM! Studios)等、クリエイターオウンドのホラー作品の脚本を数多く執筆し、現在でも複数の出版社で作品に着手する、非常に多作かつ精力的な作家です。
作画担当のジャック・T・コールは、本書の他に、『Tartarus』(イメージコミックス)の作画を担当しています。緻密な描き込みによる美麗で幻想的でありながら、どこか禍々しい作風が特徴です。Twitterでもイラストを数多く投稿しており、膨大な想像力の一端を垣間見ることができます。
Apotheosis pic.twitter.com/nQIJQNRIsV
— Jack T. Cole (@NewJackCole) October 26, 2016
この物語では、「地下」「過去」「仮面」「現実世界と近接した異世界」のモチーフが使われています。特に「仮面」は現実と異世界の関係性や、主人公アシュリの立ち位置の変化を示すという点において、執拗なまでに繰り返されます。
これらの要素は、カレン・バンの他作品でも見られます。例えば直近の『Shadowman』第1話では、仮面舞踏会が主な舞台となっており、「隣り合って存在する現実世界と死の世界」という従来の設定を効果的に際立たせています。また、「地下」「過去」の要素をした作品では、呪われた輪廻の円環にまつわる恐怖と、そこから脱け出すために足掻く主人公たちの苦闘を描いた傑作長編ホラー『Regression』(イメージコミックス刊行、全3巻)が特に顕著です。
自分が現在存在している地点から、確実に繋がっているはずの過去。そこから未知なるものが現れた時に生じる得体の知れない不安と恐怖。何が本当の自分なのか確証が抱けなくなる、足元が覚束なくなるような感覚。今作では、そんな現実感覚の喪失と転倒を、アーティストであるジャック・T・コールの豊饒なイメージと画力でもって、異世界を徹底的に描き尽くすことにより表現しています。主人公は初めて見たはずの異世界にとっての異邦人ではなく、確かに繋がりのある住人なのです。
異世界やそこの住人たちについて、脚本は多くを語ることはありません。謎めいた言葉の大半は、やはり謎めいたまま残され、主人公も読者も突き放されたような形で終わります。
今作において物語上の説明は、アーティストの絶大な想像力を縦横無尽に奔らせるため、あえて最小限に切り詰められているように思えます。そのことが、異世界の得体の知れなさ、底知れない不気味さを際立たせる結果となっています。
ページ全てを埋め尽くす緻密な絵柄で描き込まれた狂気と幻想に満ち溢れた異世界のイメージは、禍々しい一方で、どこか離れがたい魅力があります。そう思わせることもまた、クリエイター陣の目的の一つと思われ、その試みは十分以上に成功しています。
本作はNetflixによって映像化権が取得されており、2019年の段階では、デヴィット・F・サンドバーグ(『アナベル』『シャザム!』等)が監督を務める予定であると報じられていました。2021年現在、続報はまだ見られないため、企画の就中は定かではありませんが、この濃厚な世界観を実写で観ることができることを楽しみにしています。
Here’s some exciting news to share about THE UNSOUND! https://t.co/rrcY6mnD6M
— Cullen Bunn 🎃 (@cullenbunn) November 7, 2019