2023 春の記録として

こんにちは、こんばんは。
春から社会人になりました、こだまです。

この春は大学の外に出て、「社会なるもの」の半分より隅っこ側から「社会なるもの」に曝されて、とても心波立つ春でした。
そういえば小学校中学校高校はこんなだったな、とか 大学は楽しかったな、とか いつもの自分だったら、自分が好きな自分だったら蹴飛ばして無視したくなるようなことをブツブツ呟きながら、車窓に映る自分を睨みつけては目を逸らし、電車に揺られる乾き残ったボロ雑巾のような春でした。
いや、それにしても大学楽しかった。そう思える4年間があることは本当に人生の財産だなと最近思っています。
そしてそれは更新していきたいものだ、とも。
いつだって、何歳になったって、今を生きる人でありたいものです。

それにしても自分らしくないと言うか、変なエンジンのかけ方しちゃってんな、と思ってからそれを修正するまでにひとつきかかりまして。
他人の真面目さに合わせてそれをトレースしようとしていたので、自分の真面目さと合致しない部分の折り合いがつかず困っていた模様、現状把握に時間がかかったのが今回の反省ですね。
でも気づいたので良しとします。
他人に合わせずに済むために、自分が自分らしくいられるために、ギャルになれたらいい気がしたのでギャルになります、ビジネスギャル。ぎゃる✌
楽しく話す、真面目な考えをご機嫌に話す、感謝を伝えて意見を言う、そんな感じ。
社会人はみんなそんなの当たり前にやってるよと悩み相談で泣きついた父親に鋭利な一撃を喰らわされたので私はそれをギャルと呼ぶことにしました。
父親、怖い。ちょっとは優しくしてくれ、就職もやる気なかったぞ君の娘。

まあそれはいいとして。
どこにいても誰といても自分が自分らしくあること、フラットでいること、が標語的に暮らしの一部としてあるのですが、新生活はいつもそれがぶれて難しい感じがあります。
(ヨコイチで人と並べられる集団にすごく警戒心があるし、そもそも人に対してガードが高いので、フランクに見せて実はすごく自分と他人を比べて戦略を練っていたりする、そして自分の人生の重要性が全く反映されていない他人軸の戦略を立ててしまう、結果戦略的な自分に首を絞められる。)
今回は首を絞められきらず命拾いだったかも、最初で様子を見すぎずちゃんとブーストしてたのでどこかでするはずの失敗を全て最初に終わらせちゃいました。

今日は職場の同期をアピチャッポン『Solarium』に連れていき、羽根木小学校の近くの喫茶店で本の話と職場観察共有会をするなどし、なんだか楽しい休日を過ごしました。
今日の朝メイクをしながら、今の自分と5年前の自分は連続してなくて、全く違う人格だなとラランドニシダが言っているのを聞いて、実際今と昔・今と未来・過去と未来は連続していなくて、一つ一つの時間がただ連なっているだけなのだから、私は常にフラットに大きくも小さくもならずにただ自分を自分として発揮していればいいんだったなと思い出したりしていて。
自分が受け取れるようにならないとそれはやってこないんだよなと思ったら、逸る気持ちを少しあやせたりとか、そんなこともする気がしてきました。
私は多分これから少し楽しくなるんじゃないかな。
そんな期待を込めて、我が身を整えるべし。
さあこっからが「生活」です。
いかに楽しめるのか、面白がれるのか。
いつもいつもいつでもここから、のはずなので。


2024.5.26
はじめてのひとり暮らしの家、4年目にしてようやくコンスタントに活用し始めたバスタブにお湯をためながら。

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