物事にはすべて理由がある

と思う。

今日、息子の定期検診の為、市民病院に行った。

朝から雨で、普通の傘を持っていくと、長い待ち時間の間、大人しく待てずウロチョロする息子を追いかけながら傘を持つのはしんどいなーっと思って、折り畳み傘にした。

結局、1時間半後には病院は終わったけど、息子は疲れて寝てしまって、片手は抱っこで使えず。

外に出たら雨がパラパラ降りよったけど、片手でリュックから折り畳み傘を取れず、傘を取れたとしても、寝ている息子を抱っこしながら傘をさすのは危ないと思って、諦めて、せめて息子の頭がなるべく濡れないように小走りで駐車場に帰ってた時。

歩いて3分程の駐車場までの道のりの途中で、80代くらいのおばあちゃんに声をかけられた。

「あら!傘もささずに、子供は濡れて大丈夫?可哀想に。」

と言われた。

確かに濡れてて、息子には申し訳ないけど、1人で連れてきたけん傘出せんかったし、出したとしても危ないけん、仕方ないと!!

って心の中で思いながら

あ、傘が出せなくて〜

とだけ言って私はその場から去った。

なんか泣きそうになった。

たしかに、病院を出る前に傘を出しとけば良かったし、寝る事を予想して抱っこ紐を事前に用意しとく、とか、考えたらいっぱいあるけど、他人にそんな事言われたら、自分を否定された感じですごい泣けてくる。

昔から、こういう事は何度かあった。

上の子が産まれて、はじめての育児で、でも親も近くにいないし、旦那も仕事帰りは夜中だし、誰にも頼れず切羽詰まってた時に、スーパーで話しかけてくれるおばあちゃん方から、よく言われる言葉。

「大事に育てないかんよ〜」

これって、こっちの人達からすると簡単な挨拶なんかな?でも、この言葉、すごい心をえぐられる。

必死になって、はじめての育児を手探りでなんとかやってる最中に、こんな言葉言われると、もっとやらんといかんのかな?なんか間違っとるとかな?ってめちゃくちゃ不安になる。

他にあったのは、抱っこ紐で抱いてる子供の足を、いきなりさすりながら

「足が寒そうねえ。夏だからまだいいけど。」

とか、

言葉は発さずとも、子供がうるさいと睨みつけてくるおじいちゃん

とか、

もちろん子供の喋り声って、2.3歳児にとってまだTPOで音量調整するのは難しくて、大きな声を出してしまう時があるけん、それは親として周りに申し訳ないって思うし、責任は親にあると思うけど、でもそんなに睨まんでもいいやんって思ってしまう。

もっといろんな事に寛大な世の中になったら、育児ノイローゼとか、育児に限らず、いろんなノイローゼが少しは減るのかな

自分が考えるノイローゼの原因の一つとして、もっと上手くやらんといかん、もっとちゃんとせんばいかん、とかそういうプレッシャーから来るものは大きいって思う。でも上手くいかんで、不安にかられて、自分にもイライラして、ノイローゼになってしまったり、って事があると思う。

もっとみんなの心が広くなれば、なんであの人はいまこういう状況なんだろうって先回りして考えられると思う。

今日の事もそうだし、育児に限らず、その物事って意味があるからその状況なんだと思う。天災とかコロナとか、そんなのは抜きにして。

それを責め立てるのではなく、なんでかを考えて、手を差し伸べれるような人になりたい。

私がおばあちゃんになったら、今の考える方は古いとされてるだろうけど、その時の時代に沿って、若い人に苦しい思いをさせないようにできてるといいな。

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