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わたしには、やめられない事がたくさんあるようです。

 電気がが足りないとはどう言うことでしょう。
少し前、電力需給がひっ迫していると節電を呼びかけられていました。もうピークは過ぎたのでしょうか。もう報道では取り上げられていません。それでも冬には再び、ひっ迫し騒ぎ出すのでしょうか。どだいテレビや新聞の報道なんてそんなもの。それにしても、よほど深刻で差し迫った状況だったのでしょう。ここは、素直に国の呼びかけに応じて節電に協力しなければなりません。エアコンを控えめに、必要のない照明を消すなど節電に協力した方も多いと思います。わたしもそのひとり。

技術というのは日進月歩で、あれよあれよという間に、今のような便利な世の中になりました。昔では考えられなかったことや実現不可能と思われていたことが、当たり前のことになっています。同時に電力需要が増えたわけです。

素人で無知の私は思いました。技術が進んだこの時代に、電力が足りないとはどう言うことなんだ。足りないから節電ではなく、足りなくならないように各家庭で発電すればいいではないかと思ったのです。一棟分の消費電力をすべて賄うだけの電力を発電するとなると大掛かりで費用も大きくなります。そこで、少ない発電でもいいのではないかと思ったわけです。もちろん売電なんてできません。

一般家庭において、照明やテレビ、パソコン、自動便座など電力消費の少ない機器を使うくらいの電力は、各家庭で自家発電で賄えばいい。ひとつの家庭だけでは、わずかですが、全国規模で集約すればとても大きな電力量となります。もし実現したなら、電力問題のひとつの解決策にならないのかなあと、単純なわたしは思ったのです。

また、我々が吸っている空気、周りを飛び交っている電波から電気を取り出す方法もあるでしょうに、スマホを充電するくらいの省電力の供給には、いまだに100ボルトのコンセントに頼らなければいけません。

そんなことは素人の考えで、絵空事だと笑われるでしょう。書いているうちに、自分が恥ずかしくなりました。日本全国の家庭に小規模ながら発電システムを設置することなど不可能ですね。

それでも、夢を膨らませるらぐらいは可能です。
わたしには、専門知識もないし技術もありません。
行動力だって、そんなに有るわけでもありません。
できることは考えること、話すこと。書くこと。
そして、できる範囲のわずかな行動だけ。

暮らしやすい社会になればいいと、自分なりにいつも思っているわけです。

ばかばかしいでしょうが、絵空事のような話が伝播して、影響を及ぼすことだってあるかもしれない。
考えることをやめられない。
想像することをやめられない。
人に話すこと、書く事をやめられない。
ほんの少しの行動も。
わたしは考える葦なんです。


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