子ども苦手が子どもが欲しいと思う訳
子供が欲しいと最近思えてきた
子どもが好きという感覚がわからない。
わたしは子供時代にいい思い出がないし、子どもの恐ろしさを分かっているから、あまり可愛いと思えない。
それと可愛いかどうかはビジュアル的な感性で見てるから、顔ブスな子ども見てると虚無になるし、私の中の美的感性は赤ちゃんを神秘的、神妙的だなとは思っても、愛らしさからくる可愛いとはなにかが違う。
なぜ子ども欲しいのか
生きる理由が欲しいんだなって、
日々同じことを繰り返し生きていく中で、
私自身には生きる理由がない
死にたくないから生きている
自分のために生きていたいと思うけど、
周りが愛する人のためにという対象がいて生きている中、
自分のために私は頑張れない
そもそも私は自分のために頑張れない
生きていくにあたって、
いつだって対象がある。
喜ぶこと、嬉しいことも
それには人以外にも、物だって
自分が良ければそれでいい
という人にも、なにかの対象があって感情が発生する。
誰かのためにいい事をするのっていいよねとか善人でもないし、ボランティアみたいな慈善活動や投げ銭したことあるが、それは他人の為が理由ではない。
でもそれでも、誰かのために生きることは自分のためになるっていうことがわかるし
自分のために頑張れない。は私がいい人ではなく、自主自立性がないから。
自分で自分の選択ができないから
本当はもっと自分のために生きていたいと思うけど、もう周りが子供のため、推しのためにという対象がいる。
そもそも私は自分のために頑張れない
誰かのために生きることは、結局自分のため。
自分のために頑張れない。は私がいい人ではなく、自主自立性がないから自分で自分の選択ができる決断する勇気がない