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小説|なまえ-ななかけ【おわり】


***杏果

 樹先輩の了承も得たことだし、もうやることは決まっている、ブルーの実がなった時のための実験の準備と、その後の論文のシナリオを作っておく必要がある。
やることが決まった途端、報告書や準備やらで毎日が秒で流れ去っていく。準備は間に合うだろうか。時間はあると思っていたのになんだか心配になってきた。
輪太郎と橘鈴菜のことで揉めたあと、気まずいと思っていたのに、輪太郎は何食わぬ顔で毎度うちのリビングによく来た。改めて話すこともないなと思って日常に戻ってしまったけど、あいつは何を考えているんだか・・・。謎に現れた橘鈴菜の幽霊みたいな姿もあの時以降で現れたことは一度もない。
やっぱり、研究に悩みすぎて見た夢だったのかもしれない。
樹先輩とは9月に入ってから毎週日曜日に桜広場に集合するようになり、私は研究と、うちの葡萄について報告するようになった。毎週来ていれば、ブルーの実も感知しやすくなるはず。

ブルーの実。
私はいつから聖なる実と言わなくなったんだろう。
いつしかそれは魔法から研究対象の化学になってしまった。
研究対象のブルーの実。その真実にたどり着けたならお母さんが死んでしまった理由がわかるだろうか。私は橘鈴菜を忘れない。
輪太郎は、、。輪太郎は本当に覚えているんだろうか。あの日以来その話には触れられず、また、話したからといって何かが変わるわけではないと感じていた。

気づけば10月に入り、そろそろ葡萄の実は膨らんでゆく。10月でもまだ暑さが残る。風がやっと気持ちよくなってきた頃だった。房に被せた紙を覗きながら様子を確認していく。

「杏果、そろそろお昼にしようか。もう14時だよ。」お父さんがサンドイッチを持ってきてくれた。

「うん、すぐいく。」
お父さんが作ったサンドイッチはシンプルだけど本当に美味しい。パンがしなしなにならず、でもレタスがシャキッとしてる、そういうサンドイッチ。それにここの葡萄畑で食べるのが最高に美味しい。
「美味しい。」

「杏果は美味しそうに食べてくれるなあ。今年は研究が忙しそうだけどコンポートは作れるのかな?」

「うん、作るよ。だって大好物だもん。それに、それだけは誰にも負けず美味しく作れる。」

「そうだな、頼むよ。」お父さんはいつだって優しい。

「ふふ、簡単だけどね。」
葡萄畑に秋の風が吹くと風が柔らかくなって気持ちがいい。

「お父さん、今年、聖なる実ができてたら、食べてみて。」

「わっ」お父さんは食べかけのサンドイッチを思いっきり吹き出した。

「わっ、やだこぼさないでよ。」

「ごめんごめん。びっくりしちゃったよ。だってそれは今年は研究に使うんだろ?ダメでしょ食べちゃ。」

「2つ実ったらいいよ。」

「なんだあ。ほっとした。」

聖なる実が一度に一粒以上なっていたことはない。だけど、お父さんに食べて欲しいのは本当だった。

「私しか、食べてないんだよね。みんなに食べてみてほしい。」

「そうだね、父さんが知ってる限りは杏果だけだね、食べたのは。だから杏果の研究が成功したら食べられる。それが楽しみだ。」

驚いた。そうだ。私は、食べてもらいたかったんだ。あの実を、私の大切な人に。あの感動を分かち合いたかったんだ。

「どうした、杏果。研究、頑張れよ。あと、そろそろボジョレのパーティーの準備があるからそれは協力願う。」

「もちろん。」あと、気づかせてくれてありがとう。



***パーティーの日

「え〜、お待たせしました。というより十七時から開始と早いスタートだと思われているかもしれませんが、少しでも楽しい時間をみなさんと共有したいと思い準備を進めさせていただきました。今年もいい葡萄が収穫でき、みなさんに提供できることを心より感謝いたします。皆様には日々の感謝とともに・・・」
「お前の父ちゃん相変わらず話がなげえな。」
「それは同感する」
「あと、毎年必ず同じ出だし。」
「それも同感。」
「あとこの会話も。」
「そうだね。ここだけビデオテープにできそう。」
本当にそうだ。パーティーの挨拶はお父さんの長い話から始まり、輪太郎と文句を言って乾杯する。ここまでがもはや習わしみたいなものになっている。

「どう、研究うまく行きそう?」

「んー。今のところやっぱりブルーの実はなってない。そろそろ収穫になっちゃうな、、。」
聖なる木にはみずみずしい実が沢山なっているが、ブルーの実には今のところ見られない。樹先輩は仕事が忙しくなってしまって日曜日も2週に一回しか来れなくなってしまった。研究は仮説で終わるかと毎日悩みながら今日だけは一旦置いておこうとしてたのに。

「今日はさ、好きなだけ飲めば?」

「そうする。
、、、輪太郎さ、橘鈴菜はいたと思う?」

「今になって聞く気になった?」

「うん、なんとなく。怒ったりしないと思う。」

「橘はいたよ。お前のお母さんを殺したかはわからない。でも俺から見たら、杏果と仲が良い、おとなしい女子だったよ。いつも寂しそうだったけど杏果が友達になって明るくなったと思ってた。」

「うん、私も好きだった。」

「今、どうしてるんだろうね。」

「さあ。それは私の研究が成功しても多分わからないね。私のコンポート、食べる?」

「お、珍しく優しい。食べる。」うんまいと輪太郎にしては味わって食べてくれた。

今かな。そんな感じがした。トイレに行くと言って葡萄畑に向かってみる。

葡萄畑は嘘みたいに静かだった。風の声がよく聞こえる。聖なる木へと向かう。ブルーの実ができている確信がなぜかあった。

ほら、やっぱり、、、。

嘘みたいだ。
ひと房まるまる、光り輝いている。
こんなことってあるだろうか。
夜の中、輝いているのがわかる。
その不思議な透明感。

少し怖い気持ちもありながら私は手を伸ばした。

あれ?
届かない。またあのときと同じように落ちる感覚、、、。どこに??



「汰一ーーー!」(鈴菜ちゃんの声?)
「汰一、今助けるから。」ああ、もう弟は気絶してしまっている。私の腕では引っ張り上げられない。落ちる、落ちてしまう。いや、、。
さらさらとその蔓は降りてきて私に語りかけた。
その雫をごくりと飲み込むと目に見えるもの全てがこれまでより色鮮やかで体は軽く、初めて見た世界のようだった。
(ああ、この感覚は私が初めてブルーの実を食べた時とおんなじだ。私は誰かの記憶の中に落ちた?)

降りてきた蔓は何か言う。私は光の中にいる。

『この少年を助けてあげようか。君が今飲み込んだ対価は支払ってもらわなければいけないけれど。』

「私は今何を飲み込んだんでしょうか。」

『私の命の雫だよ。私はこの葡萄の実りを守るために尽くしてきたけど忘れられ、寿命が近づいている。それに見合う対価を君は持ち合わせているかな?なければこの少年の命をもらおう。』

「あなたの名前は?」

『はて。名前などあったことはないと思うが。』

「忘れてしまったのよ。名前がないものは存在できない。私にはそれがわかる。あなたが忘れられるのも、寿命が近いと感じるのもそのせいだわ。だから私の名前をあげる。スズ。どう?弟を助けてくれる?」

『私が語りかけた最後の望みは間違いなかったようだ。いい案だ。そうすることでまだあと100年は守っていけるだろうから。』

気づいたらその少年は蔓が巻き付いてなんとか引っかかっていた。
昔の輪太郎にそっくりな別の少年がかけてくる。その子に他の助けを呼んでこいと言われて我に帰った少女が見える。
あれは、、今にも消えそうな橘鈴菜だ。
葡萄の精と契約し、名前を取られたのだ。
あれは橘鈴菜という名の葡萄の精になろうとしている。それがわかった。

「鈴菜ちゃん!!」

思わず叫んだ時、やっぱり足元に地面はなかった。
今度こそ、落ちる、、!
こんなところに穴なんてあるわけないのに。

ガクン、と右手を強く掴まれた。下は見えないけど落ちる恐怖から救われた。
「大丈夫か。」
見上げたら輪太郎がいた。ああ、なんかさっきの少年見てたらすごく頼もしく見える。助かった、、。

「足引っ掛けながら上がれるか?ちゃんと掴んでおくから。」

「ありがとう。」
なんとか這い上がれた。穴から出て振り返るとみるみると穴が縮まっていく。

「何これ。」

「それより、ほら。」輪太郎が指さしたところに小さいままの鈴菜ちゃんがいた。

「鈴菜ちゃん、、」

「杏果ちゃん、、」

「鈴菜ちゃん、大丈夫だよ。私、ブルーの実の研究、やるよ。でも大丈夫。私忘れないから。この葡萄畑大好きだから。聖なる木もずっと信じてる。ブルーの実が広まればきっともう誰にも忘れられることなんかないよ。あなたの名前はビティス。ラテン語で「生命」という意味。昔雨宮という人にそう呼ばれていたのでは?」

「それが、、私の名前、、?」

「そう。」真っ直ぐ鈴菜ちゃんを見た。いや、そのかわいそうな葡萄の精を。

鈴菜ちゃんは顔をくしゃっくしゃにして泣いた。
「ごめんなさい。私は名前をあげることしかできなかったから、あなたのお母さんを殺すことになってしまった。」

「もう、いいの。お母さんが望んでしたことなんでしょう?お母さんが許したのなら私も許してあげる。」

「本当に、、でも、、」

「いいの。許すと言ってるの。許されてよ。いいから。その子をもう解放してあげよう?」

「スズ、ごめんな。宗二郎はお前を助けられなかった。でも俺は今を生きてるし、杏果をちゃんと救えたんだよ。時は、進めなきゃだめだよ。」
輪太郎が何を言ってるのかはよくわからなかった。だけどその直後鈴菜ちゃんから葡萄の精が離れる気配がした。

『ごめんなさい。許してくれてありがとう。解放してくれてありがとう。』

声だけが風に乗って聞こえる。

「待って!」

「呼び止めるな。」輪太郎に肩を引っ張られる。

「違うの、、、ありがとう!」本当に。だってこの場所はさっきの穴のように何かに飲み込まれてなくなっていたのかもしれない。
「ずっとこの葡萄畑を守ってくれてありがとう!」

鈴菜ちゃんはもういなかった。

ひと房輝く葡萄を前に、私と輪太郎だけだった。

「こんなに収穫があったので、一粒食べる?」

「いいの?食べたい!」何事もなかったかのように無邪気にいう。

「ところで輪太郎はどこまで理解してる?」

「さあ、明日にはきっと忘れてるよ。」輪太郎は軽く鼻で笑った。結構大層なことだったと思うけど、、と思いつつまあいっかと一粒づつ手に取った。


輪太郎はうんまい、と言って私のコンポートと同じくらい味わって食べているように見えた。



お父さんと樹先輩、あと伊盧夫教授にも食べさせてあげよう。


おわり

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