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美とはなんらかの対象の合目的性の形式ではあるが、それは当の合目的性が目的に表象を欠きながら、その対象について知覚される限りのことである。 by カント

最近、読書をする中で出会った素敵な言葉がある。「世界のエリートはなぜ ”美意識" を鍛えるのか? - 経営におけるアートとサイエンス- 」における一節だ。

"美とはなんらかの対象の合目的性の形式ではあるが、それは当の合目的性が目的に表象を欠きながら、その対象について知覚される限りのことである。" by カント

パッと読んで意味がわからなかったが、著者の山口 周さんがわかりやすく解説してくれていたので紹介したい。

いかにもカントらしい、実にわかりにくい文章ですが、少し乱暴に意訳すれば、「美しい、ということはなんらかの普遍的妥当性がある」という解釈で、まずは構わないでしょう。
カントは「良い」という言葉が、常になんらかの目的を伴った概念であると指摘しています。「この包丁は良い包丁だ」というとき、人はその「良さ」を「ものを切るという包丁の目的に沿って理解する」当たり前のことですね。ところが「美しい」という言葉はそうではない。「美」は必ずしも目的がはっきりしていない場合であっても「美しい」と感じられる。そして「美しい」と人が感じるとき、それはなにがしかの合理的な目的にかなっている、というのがカントの指摘です。

美しい, 醜い, 素晴らしい... 私はあらゆる事象に対して、なぜそう思うのだろう?と思って生きてきた。その回答が、カントのこの言葉だと確信した。いま目の前にある花に、美しい、と感じるのもなにがしかの合理的な目的にかなっているのだ。その合理的な目的を言語化していきたい。

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