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はじめまして

線維筋痛症はじめ、病気のデパート、リルキーです。

2007年に線維筋痛症を発症する訳なのですが、

その2007年は激動の1年でした。

これは大学病院へ行くまでの間の話です。

日常生活は毎日忙しく、そんなところで酷い腰痛が出てきて、立ったり座ったりができなくなりました。もともと全身がコリコリ状態だったので、多少の痛みは我慢していましたが、これは変な腰痛だなと感じ、家から歩いて5分の所にある、整形外科へ30分かけてカニ歩きをしながら行きました。すると、明日MRIを受ける様にと言われたのですが、今日も休んでるしどうしよう、と思いながら、次の日、手すりにつかまりながらも、仕事をしていました。MRIはキャンセルしました。

それからと言うと、日に日に状態が悪くなってきまして、仕事帰りに空いてる内科へ飛び込みました。血液検査をしてもらって1週間休みなさいと言われました。忙しい毎日に休みをもらうのはとても心苦しかったです。

自宅で安静にしていると、電話がかかってきて、昨日の内科の先生が、「おうちの方と一緒に夕方来て下さい」とおっしゃいました。主人と向かいました。先生は「抗核抗体が300倍になっています。膠原病内科のある病院へ紹介状を書きますので明日すぐ行って下さい」と言われました。

ドキドキしながら、大学病院の膠原病内科の受診を受けました。紹介状を見ながら問診を受け、いつからこういう状態になったかなど詳細を話し、血液オーダーが出たので採血をして1時間半程待ち、再度診察室へ入りました。「CRPが異常値です。ベットが開き次第入院してください」と言われました。入院の手続きをして「1週間程でベッド空く予定です。電話しますので自宅でお待ちください。」と言われました。

自宅で安静にしていても腰部から全身が痛くなっているんです。眠ることも出来ず待ってる間とても辛くって、熱まで上がっていました。

そんなこんなで電話を待っていたけれど、しんどいのマックス、熱はフィーバー、全身ペインでたまらなくなり、見かねた主人が夜間の大学病院へ、連れて行ってくれました。先生は当直の先生でした。血液検査見てすぐ入院してくださいと言われました。夜10時は回っていたと思います。

大部屋に案内され、皆さん寝静まっているところで、ガサガサ着替えをし、着替えが終わったら主人は帰っていきました。歩けないので、車椅子で病室に案内されたのですが、歯磨きしたかったので、廊下に置いてる車椅子まで歩いて行こうとしたら、巡回の看護師さんと鉢合わせし、「びっくりしたーー!あなたは安静だからナースコールで呼んで」と少しお叱りを受けました。2月の寒い日でした。

ここから私の入院生活と長い闘病生活が始まるのでした。

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https://every-delight.info



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