の一人称を教えて

 パワプロのサクセスモードを起動する。自分で名前をつけたキャラクターをプロ野球選手へと育成するモード。初期設定では名前、左右の利き腕、バッティングフォーム、ピッチングフォーム、肌の色、ウグイス嬢のイントネーションに至るまであらゆるパラメーターを設定することが出来る。中でも印象的なのは一人称の設定だ。オレ、ボク、オイラ、ワイ、ワシ、わたし、ミー、拙者、おいどん、まろ、自分の名前……そこにはあらゆる一人称があって、ゲームの進行やパラメーターには全く関係が無いのだけれど、あれに救われた人間は少なからずいたと思う。
 俺には一人称というものが、未だよくわからない。

すべり落ちる「わたし」
 
 ある日、友人と雑談をしていました。私は妊娠五ヶ月目に入っていました。
 笑いながら話していた私は、ふいに、「わたしはね……」と、いいかけて、「わたし」という一人称がいえなくなったのです。
 いえ、ことばは一呼吸おいて発音しました。でも、それは、もう一瞬前の「わたし」ではありませんでした。何か空漠としてそのことばが、はねかえってきました。
 私は息をのみ、くらくらと目まいがしました。
 つい先ほどまで十分に機能していたはずの「わたし」ということば。ひとりのときも、会話のときでも、社会で通用する内容を持っていると信じていた一人称。私の存在の自称。
 その「わたし」が、なぜか、ふいに、胎動を感じながら談笑していた私から、すべり落ちたのです。まるで、その内容では不十分だというかのように。
 私はからだだけになりました。

森崎和江『いのち、響きあう』

 この森崎の述懐は、我々に一人称に関する大きな示唆を与えてくれる。「子どもがいるから違和感あるの?じゃあ”わたしたち”でいいじゃん。スパイダーマンのヴェノムみたいにさ」という簡単な話ではない。なぜなら、腹の中の赤子には人格などまだ無い。意識など無いのだ。だが子宮には間違いなく「その人」がいるのである。だが一人称を名乗る意識はない。この不安定さのために森崎から「わたし」はすべり落ちてしまう。

 僕には一人称というものがわからない。
 いつの頃からだろう。女性が「僕」という一人称を使うことについて、色々な話が飛び交うようになったのは。多くは否定的なものだ。世の中の多くの人たちにとって、今僕の主張している「一人称がわからない」という話は「一人称なんてどうでもいいじゃん」と受け取られることだろう。だが、実際には女性が、他人が、使っている一人称に対してあーだこーだと文句を言う人間もかなりの数存在している。
 あんまりグロテスクだから、紹介するに気が進まない。「ぼく」を使う人に対するリアクションの極端な例だ。一々この人の使う一人称を検証して、「ぼく」に一貫性が無いことを証明しようとしている。証明出来たらなんなのだろう。あんまりアホらしくて泣きそうだ。一人称なんてどうでもいいし、どうでものよくないのに。
https://matome.naver.jp/odai/2141637830797718601

 あたしには一人称がわからない。
 あたしがあたしと口にする時、そこにジェンダー的含意は全く無い。「あたし」と言いたくなったからそうしている。BLEACHという漫画に浦原喜助というキャラクターがいる。この人もまた男性という自覚はこれといって特にぎくしゃくしてはいない。だが「アタシ」だ。しかも過去「僕」だったものが「アタシ」に変化している。言ってしまえば、浦原喜助というキャラクターの飄々とした感じ、掴みどころの無さ、尋常でない雰囲気を演出するために、若い頃の浦原は「僕」で、掴みどころの無くなった海千山千の浦原は「アタシ」なのだろう。漫画の、作られた世界のカラクリに対してある程度の仮説を立ててしまうのは容易だが、全くあたしはこの浦原という人の一人称に対する自由さが好きだ。
 では、筆者が「あたし」と言う時、それが浦原喜助のコスプレなのかというと、それは違う。本来、書き言葉主体の場所で筆者の「あたし」は出てこない(本当はこうして書いている今もかなりしんどい。だからこの段落から筆者と表記している)。けれど、声を使ったコミュニケーションの上だと、ふと、自然に「あたし」と出ることがある。数秒前まで「僕」だったのが、今「あたし」の響きを聞きたかったからなのか、全く自然に、ジェンダー的な含意無く、「あたし」と出てくる瞬間がある。これは現実の筆者と長く過ごしてみないと分からないだろう。本当にそういう瞬間がまれにある。自分でもどんな経路を伝って「あたし」が出てくるのか未だはっきりした仮説すら立てられずにいる。

 僕には一人称が分からない。
 世界から一人称を指定されるのは楽だ。学校に行くためにおしゃれする必要なんかない。僕は僕を、制服である程度ごまかせる。同じように、世界だとか、社会だとかが、「あなたはこの一人称を使いなさい」と指定してくれる場所は楽だ。僕は男性だから「私」「俺」「僕」のうち、場合によって使い分ければいい。問題はそういうルールが無い場所。制服を着て表に出られない場所の話。僕は取り敢えず殆ど「僕」を使うけれど、本当にこれは僕でいいのかなあとよく思う。町中を制服で歩いてる気がする。スーツで歩いてる気がする。プライベートなのに。ルールの存在しない場所、例えば僕の内省世界では、どんな一人称も許される。許されてしまう。そういう全く自由な場所で、僕はどんな格好で歩いたらいいのか分からない。皆が「ボクはボクがいいからボクを使う」と言っている中で、僕は自信を持って僕を使っていると宣言することが出来ない。ルールの無い場で、確信を持って一人称を使うことが出来ずにいる。生きている上であらゆる確信がふわふわと浮いていて、ずっと滑り続けている気がする。

 パワプロからはいつのまにか、一人称の選択機能が消えていた。
https://hayabusa.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1352560704/


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