日記 11・2

耳の中でロックスターが気持ちいい気持ちいい行っても俺は全然気持ちよくねえんだ。
高校の頃から履いてるボロボロのニューバランスを履きたくねえから布団被って寝た。
全部消えろ全部消えろと思って寝た。でも昼寝する時に限って夢見るから全部消えない。起きたら夢は消える。何も思い出せない。入れ替わりに現実が来る。また寝る。現実が消えて、入れ替わりに夢が来る。その繰り返し。どちらか一方は必ずある。
今時こんなこと日記に書いたって素直に病院を勧められるだけだ。近頃は病んでる側から病院に接続し、就労支援に接続し、生活保護に接続する方法を積極的に紹介する始末だ。皆大人になった。良い時代になった。メンヘラ神もはるしにゃんも死んだ。だからなんだ。俺絶対病院なんかいかねーから。
お腹が痛い。お腹が痛いのはラーメンを食べた後ホットドックを食べたからです。キレると僕は許容量を超える食事をします。最近思うのですが、これって自傷なんですかね。でもゲロ吐くまで食べない。そういう理性はちゃんとしてる。じゃあ単に食いしん坊さんなだけ?よくわかりません。
心が無い人の心が痛んだら、それって幻肢痛になりますか?
性欲が収まるまでの時間が無駄だから、早く死にたい。
誰も好き好んでチンコなんか勃てるもんか、バカ。
なんで年中生殖可能なんですか?
なんか楽しいことしたいな。遊園地行こう。一人で。一人で遊園地行く。誰も来んな。一人で行く。誰も遊園地来んな。
かっこいい靴買って遊園地行く。2万円のちゃんとした革靴買って遊園地行く。ドクターマーチンってやつ。あとクレマンってとこのやつ。かわいいから。
ごめん。嘘ついた。全然良さとか違いとか分かんない。服がかっこいいとかダサいとか全然分かんない。
着たい服が明確にある人のことを羨ましく思う。ポジティブにせよネガティヴにせよ、それだけ自分の見た目に関心を持ってきたにでしょう。僕には全然分からない。嶽本野ばらの小説に出てくる人達の気持ちなんか全然分からない。自分のスキに引き寄せて無理矢理分かろうとするので精一杯。僕にはそれが悔しい。
町田康の文体がスキってことは分かる。瀬戸口廉也の文体がスキってことは分かる。長い間関心を持って小説を読んできたから、僕には自分のスキが分かる。僕が見た目に関して自分のスキがわからないのは、関心の時間が、密度が足りないからだ。それは今まで僕にとってそれが価値を持たなかったということでもある。
自分のスキが分かった上で服を着ている人を見ると、自分がひどくみじめに思えて苦しい。スキが分からないやつはダサい。それだけはどの世界でも同じで、間違いなく僕はファッションの世界ではダサいだろうなと分かるから。だって自分のスキが分からねえのだもの。
しばらく見た目というものに対して関心を持ち続けていれば、分かるのかもしれない。でも今は苦しい。オシャレな人を見るのが苦しい。スキの自覚を視覚的に見せられるのが苦しい。
僕にもいつか、嶽本野ばらの小説に出てくる人達みたいに、ある日突然天啓があって、自分のスキな服が分かるということが、あり得るのだろうか。
スキを見せるな俺がみじめだから。俺がそういうあんた達のことを好きにならざるを得なくなるから。

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