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シッソウカノジョ 第六話

 子供の頃から、猫ってやつがどうも好きになれなかった。猫だけじゃない。犬も猿も小鳥も大嫌いだった。
 五歳のときのこと、父が大きな鳥カゴを抱えて職場から帰ってきた。何でも会社の同僚が、ツガイのインコを飼っていて、誰から頼まれたわけでもないのにせっせと卵を産ませ、繁殖と普及につとめているというのだ。
 玄関先で出迎えたぼくの鼻先に、父は「ほらっ」とカゴを差し出した。なかをのぞくと小さなインコがいた。頭が黄色で、首から羽にいくにしたがって明るい緑のグラデーションがそれはそれは美しかった。黒い瞳をぱちぱちと瞬かせな、二本の止まり木の間をピョンピョンと行き来して、ときどき小首をかしげる姿に夢中になった。名前はすぐ決まった。
「ピョンピョン、おはよう」
 毎朝ぼくが声をかけると、機嫌がいいときには鳥カゴのブランコに乗って「ゲゲゲゲゲ、ギョギョギョギョギョ」と返事をした。お世辞にもかわいいといえない鳴き声だったけれど、カゴのすき間からいれてやった野菜をクチバシで器用に食べるしぐさやぶちまけてから餌を食べる風景、ぶわぶわに羽をふくらませて自分の飲み水の入ったボウルで水浴びをする姿は、見飽きることがなかった。
 そのうちぼくは、ピョンピョンをカゴの外から見ているだけでは物足りなくなってきた。
「ひとりで勝手にカゴから出してはだめよ。もしも飛んでいったら、二度と帰ってこられないんだからね。絶対、だめよ」
 母からそう厳しくいわれていた。なにしろピョンピョンはうちに来たときにはすでにかなり大きくて、しかも手乗りになるような訓練というのか、躾を受けていなかった。そもそも、人の手や肩にとまってじっとしていられるようなタチではなかったのだ。ピョンピョンとは、あくまでも一線をひいた付き合いが必要だった。だが、そのときのぼくはまだ五歳。そんな理屈がわかるような子どもでもなかった。
 ある日の午後、母は隣のおばさんと玄関で話しこんでいた。テレビも見飽きて、ひとりで退屈していたぼくは思った。今しかない。あの小さくてあったかいピョンピョンを手に乗せたり、頭の上に乗せて一緒に遊ぼう。そう思って初めて自分ひとりで鳥カゴの扉を開けた。それまでは、エサや水をかえるときは、いつも母と一緒だった。
 名前を呼び、やさしく声をかけながら、ぼくはカゴに手を突っ込んで、止まり木の間を飛び跳ねているピョンピョンをつかまえようとした。だが、いつもと様子が違うと本能的に感じたのか、小鳥はおびえて狭い鳥カゴのなかを逃げまわった。そして、小さなクチバシでぼくの手にガブリと噛みついた。
「ギャッ」と叫んで、カゴから手を引っ込める。手の甲の皮が薄く破れて血がでていた。ただ一緒に遊びたかっただけなのに。血のにじんだ手を見て涙が出てきた。そのとき、開きっぱなしになったカゴの扉から、ピョンピョンが勢いよく飛び出した。部屋中を猛スピードで飛びまわり、狂ったように壁や天井に自分から体当たりをくらわしている。
 あんなにめちゃくちゃに身体をぶつけていたら、死んでしまう。幼かったぼくはパニックだった。とにかくつかまえようと、頭のはるか上を旋回しつづけるインコをみながら、両手をのばして小鳥と同じようにグルグルと部屋をまわった。その拍子にぼくはテーブルにぶつかり、花瓶が床に落ちて砕け散った。その音がさらに小鳥をおびえさせ、ピョンピョンはますます羽を散らして壁といわず、窓ガラスといわず、体当たりする。
 部屋の惨状と狂ったようなピョンピョンを見て、とても手におえないと観念したぼくは、母に助けを求めて部屋のドアを開けた。ピョンピョンをカゴから出したことで母に怒られることもいやだったけど、ピョンピョンが死んでしまうことの方がもっと恐ろしかった。
「お母さん、ピョンピョンが、ピョンピョンが」声を限りに叫んでいた。
 だが、それが事態をますます悪くしていた。
 ぼくが開けたドアから、すかさずインコも飛び出したのだ。さらに悪いことに、隣のおばさんは開いた玄関のドアにもたれて立っていた。インコは一直線にドアから家を飛び出して、あっという間に空の小さな点になってしまった。幼かったぼくは小鳥の飛んでいった空に向かって両手を突き上げ、声をあげてその名を繰り返すことしかできなかった。
 そのあと、庭に打ち捨てられた空っぽの鳥カゴを見て何度涙を流したことだろう。鳥カゴは雨に打たれ、ゆっくりと錆びていった。

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