私はもう死んでいる
「おまえはもう死んでいる」
子どもの頃に見たアニメの台詞である。
悪さをする悪党に対して、
主人公が一瞬のうちに拳法技をかけると、
相手は何をされたか気付かないでいるのだが、
その身体の内部にはダメージを受けており、
主人公がその台詞を言い放った3秒後に
「そ、そんなバカな……ひでぶ!」
という最後の言葉を残して、
血を吹き出しながら倒れて死んでしまうのだ。
正義感と圧倒的な強さをもつ主人公に対して
カッコよさと潔さを感じる反面、
当時の私は、
何かしらの違和感を
感じていたのを思い出した。
このアニメの面白さを考えてみると、
主人公が生きている人間に対して
「もう死んでいる」
と言い放った3秒後に
悪党は倒れてしまい、
宣言通りに死んでしまう……
というところであろう。
ならば、
もしそれが3秒後でなく、
1年後や
10年後、
または、80年後であったらどうだろう。
「お前はもう死んでいる(80年後に)」
「うん、きっと、そうね!……ひでぶ♡」
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考えてみたら
人間は生まれてきた瞬間から
死に向かって進んでいるのであって、
何も3秒後でなくても、
普通にみんな死んでしまうのは
確実に分かっていることなのだ。
だから、
そこに3秒間の時間の概念を用いなければ
生きている人、みんな
「もうすでに死んでいる」
と言ってもいいのかもしれない。
だって人間は遅かれ早かれみんな死ぬのだから。
解剖学者の養老孟司さんが
『死の壁』という本の中で
「人間の死亡率は何%か」と言っていた。
誰でもこれが
「100%」
であるということに気が付く。
当たり前といえば当たり前の話なのだが、
今を生きている私たちは
そのことを、すぐに忘れてしまい、
人生が限りなく、
いつまでも続くと
錯覚してしまっているのだ。
きっと、今ほとんどの人が
(現時点の私も含めて)
「死は自分とは無関係な世界だ」
と、どこかで思っているし、
日常で、常に死を感じながら
生きているていう人は、
ほとんどないだろう。
もし、そうだとしたら
怖くて外に出れないかもしれない。
文中「死の壁」で著者は、
「人生の最終解答は
『死ぬこと』だということです。
これだけは間違いない。
過去に死ななかった人などいません。
人間の致死率は100%なのです。
ガンの5年生存率が何%だ、
SARSの死亡率が何%だ、
と世間では騒いでいますが、
その比ではないのです」
と述べている。
私が死ぬのがいつになるか分からないけど、
アニメの主人公のように
「お前はもう死んでいる」
と言われてたとしても、
3秒後が
だいぶ伸びてしまっているだけだと思えば
それだけで
まるまる得した気分になるのではないか
と思うのだ。
そもそも
人間の死亡率は100%
なのだから、
これをどう自覚し、
これをどう向き合い、
これをどう生きていくのか、
ということを
考えていけばいいのだ
ということになるわけで、
その生き方を自身で考えれば、
それが、自身の死に方になるだろうし、
死を恐れずに、
かつ、死を意識しながら
前向きに生きていくことが
良い生き方となるのであろうと思うのだ。
私は(生きていると自覚した瞬間から)
もうすでに
死んでしまうことが決まっているので
死んでしまう前の今のうちに
たくさん足掻いて、
それなりに楽しみながら生きていけばいいのかもしれない。
その一瞬の中できっと
生きてて良かった
と思うことが
あるのではないかと思うのだ。
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作品:「記憶のかけら」 アルミ箔・墨・アクリル絵具/板 インスタレーション
きはらごう
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