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「子どもの目線」

子ども絵画教室で講師をして、
今年で12年目になります。

今回、ポットに植えられたポーチュラカの花を描いてます。

この絵は、当時小学3年生の男の子が描いた作品ですが、いつも指導する立場で心がけていることを書きたいと思います。

注目すべきは、この花の茎と茎の間にあるポットの稜線の高さです。

この絵では、ポットの稜線が茎と茎の間で、
断ち切られているようになっていて、
段差になって繋がっていないようにみえます。

ポットは円筒形ですので、
実際には茎と茎の間は繋がっているように
描いてなければいけません。

ですから、茎があろうと無かろうと
繋がりをもった同じ高さの稜線になるはずです。

理屈の上では。

しかし、
描いている子どもの目線を追ってみると、
ジッと観察しながら描いているのがわかります。

きっと、描いているうちに
対象になる花にだんだんと近づいて、
その空間に入り込んでいくような気持ちで描いているのだと思います。

さらに、描いているその時の真剣な眼差しまでも感じ取ることができる作品になっています。

つまり、
この絵は、ポットの稜線が繋がっているという理屈はどうでもよくて、
ポーチュラカの花や茎や葉の形や関係性をよく見ながら、
それがどのようになっているのかということを一所懸命によく見て描いた絵だとわかります。

理屈が分かっている大人から見ると
「こうじゃないでしょう?もう少し良く見て!ココが繋がってなければいけないんじゃない⁈」
とつい言葉掛けしてしまうのですが、

実はその言葉掛けは、大人の概念を勝手に押し付けていることになるのです。

子どもの一生懸命で純粋な子どもの目線を、
大人の理屈を交えて指導という形で子どもに言葉掛けしてしまうと、

せっかく一生懸命観察しながら
植物の間をかき分けるように入り込んで描いた子どもの目線を潰してしまうことになりかねないと思うのです。

大人の概念を押しつけずに
子どもの目線の先にある可能性を充分に拾ってあげる言葉掛けをしていきたいということが
私が常々心がけていることであります。

しかしながら、素敵な絵を描いてますね!

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