上野天神祭特集③

画像1 上野天神祭特集③ 長い間本特集をお読みいただきありがとうございました。いよいよ最終の投稿となります。①で東の御旅所をご紹介して、そして②で本祭り供奉行列を写真とともにご案内してきました。③では上の写真にある西の御旅所をご紹介して、締めくくりたいと思います。なぜ西の御旅所なのかと言いますと、筆者が子どもの頃担いでいた神輿の休憩場所であり、出発点である東の御旅所とともに思い出深い場所でもあるのでそうさせていただきました。2枚目から詳しくご案内していきます。
画像2 さて、上野西大手町にある西の御旅所金峯神社(きんぷじんじゃ)は、元は蔵王権現(ざおうごんげん)と呼ばれておりまして、修験道の道場でもありました。奈良県吉野町の金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王堂(ざおうどう)が有名ですよね。伊賀に最初に入封した筒井定次がこの地に還した(かえした)のですが(元は西丸之内にありました)、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、元にあったお寺(西光院幸福寺:さいこういんこうふくじ)が廃寺となり、金峯神社と名を変えて明治43年(1910年)上野天神宮に合祀(ごうし)されました。
画像3 この建物は、この地残る地蔵堂で、幸福寺駒止延命地蔵が安置されています。地蔵信仰の篤さ(あつさ)から顔面が磨耗し、「顔のないお地蔵さん」として親しまれています。片方しか写っていませんが、お地蔵さんの両脇に侍を従えています。女人泰産、寿命長延、穀物成就等々いろんなご利益がありますので、お越しの際にはお参りください。伊賀鉄道西大手駅からほど近いですよ。
画像4 金峯神社に隣接して祀られているのが、阿部神社です。阿拝神社(あへじんじゃ)とも言いまして、上野町の元の郡名である阿拝によるものです。ここに辿り着くには長い石段がありまして、その入り口に「阿拝一郡の鎮守・・・」との石碑が鎮座しています。こちらは、宝永7年(1710年)に社殿が大破、正徳元年(1711年)にこの地に移祀(いし)、大正9年(1920年)に上野天神宮に合祀されました。
画像5 これがその石段です。神輿を担いだ筆者は、この石段を神輿とともに担ぎ上げ、阿部神社の境内でお弁当を食べ、友達と一緒に太鼓を叩いて遊んでいた思い出があります。しかし、この石段はきつかったです・・・。

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