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上野天神祭特集②

 楼車(だんじり)の最後として、だんじりの露払いを務める「しるし」に焦点を当てたいと思います。写真は、先にご紹介した上野中町のたんじり:其神山・葵鉾で、そして、そのしるしとして先陣を切るのが、「菊慈童(きくじどう)」です。「菊慈童」は享和2年(1802年)菅公9百年として作られたと伝えられ、見送幕は、中国明の時代(1368年〜1644年)の官服(群青、赤、黄、紫等々の龍の蝦夷綿)が出来たものとされています。

 こうして各だんじり町は、先祖代々からの「しるし」「だんじり」などを受け継ぎ、現代まで至っています。そして、神輿を始め、鬼面とも各町々で大切に保存され、この祭りが町人の文化であるとともに、豊作への感謝・疫病退散の祈願から京都の祇園祭の形態を取り入れて発展、現代、今日の伊賀地方の秋の風物詩となり、伝えられます。

 祭りは我々伊賀人にとっての誇りであり、「祭りが終わったら、さあ炬燵だそか」と季節の変わり目でもあります。近年、だんじりの曳き手などの人材不足、観光資源としての役割から従来の10月23、24、25日の菅原道真公の命日に合わせた日程が、それに近しい金、土、日の日程に改められました。地のものにしては、伝統を重んじるばかり疑念を感じるところではありますが、これも止むを得ないものであるものと思います。

 次回からは、上野天神祭りのいろんな場面を筆者の私見からお送りします。

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