堀井のプロフィール【幼少期〜】


失敗の連続、挫折の連続

私がどんな人間か知ってもらうために、
幼少期からの私のすべての記録を語ります。

はっきり言って、
ここまで書くことには、
ためらいがありました。

全然イケていない。
カッコ悪さしかない自分の半生を
晒すことにためらいがありました。

暗くて惨めな自分の過去なんて、
知ってほしくはありませんでした。

しかし、
私の過去をあなたに知ってもらう
必要があると思い書き記していきます。

私は子供の時から人見知りでした。

幼稚園時代の私は友達も少なく
運動神経も悪い地味な子供でした。

好きな遊びは、砂遊びとおままごと。
特技はあやとり。

幼稚園時代の私は、
ドラえもんに出てくる
「のび太」のような存在でした。

のび太君には、
多少の友達がいます。
(ジャイアンも心の友ですから(笑))

私は本当に友達が作れなく、
一人で遊んでいる事がほとんどでした。

幼稚園の先生からも
よく心配されていました。

そんな私でしたが、
両親は過度に心配することなく、
おままごとや、あやとりなど、
女の子のような遊びばかりする私を
暖かく見守ってくれていました。

本当に一人でいる時間がほとんどでした。

友達作りができるきっかけがあっても
自分から拒否していました・・・

ただでさえ友達作りが苦手な子供でしたが、
さらに間の悪い事に幼稚園から小学校に
入学する時に親の仕事都合で
引っ越しをする事になりました。

人見知りにも関わらず、
小学校入学早々から0からのスタート。
友人関係はまた0から。

このあたりから、
ニヤニヤと作り笑顔をする性格が
形成されていったと思います。

イジメられていた訳でもないのに、
「私は仲間はずれな存在だ」
と勝手に思い込んでいました。

実際はそんな事もなく、
今から考えると勝手な被害妄想なのですが、
常に疎外感を感じながら生きていました。

当然のように、
クラスのガキ大将から
逃げるように距離を置いていましたし、
友達も少ない方でした。

そして、私の家庭はお金がなく、
貧乏を絵に書いたような家庭でした。

「団地」をご存知でしょうか?
住むには所得制限があり、
所得が低くないと住めないのです。

親も、
「うちにはお金がない」
「うちにはお金がない」
「うちにはお金がない」
とよく言ってました。

欲しい物は買えませんし、
習い事なんて、もってのほか。

友達が、
そろばん、塾、ピアノ、習字、
などに通うのを羨ましく見てました。

悲劇は続きます。

小学校3年から4年に進級するタイミングで、
また引っ越しをする事になりました。

この引っ越しが、
私の人見知りに拍車をかけました。

またも0からの友達作り・・・
(友達作れてないじゃん、ってツッコミはナシで・・・)

そもそもが人見知りの私には
地獄のような環境でした。

多少のイジメはあったものの、
何とかクラスに溶け込みました。

とは言え、
当然友達は多くありませんし、
疎外感は常に感じ続けていました。

「僕は生きては行けないのではないか」
勝手にそう思い込んでは、
布団の中で一人で泣いていました。

そんな「のけもの小学生」だった私にとって
唯一の救いは「あかねちゃん」の存在でした。

クラスで人気者のあかねちゃんは、
かわいい上に勝ち気で運動神経も抜群。

今から思うと、
マンガ「乱馬1/2」のあかねちゃんに
似ていたとも思います(笑)

あかねちゃんは
なぜか私に気を使ってくれて、
友達が少なった私も
よく遊びにも誘ってくれました。

あかねちゃんのおかげもあり、
小学6年生になった頃には
何とか馴染めるようになりました。

「これで一安心」と思っていた矢先、
さらに試練が続きます。

父の勤めていた会社が倒産し、
母の実家がある別な県に
引っ越す事になったのです。

幼稚園卒園~小学校入学、で引っ越し
小学校3年~小学校4年、で引っ越し
小学校卒業~中学校入学、で引っ越し

またも見知らぬ環境に投げ込まれたのです。

中学時代の楽しい思い出は
ほとんどありません。

楽しいはずの修学旅行のグループ作りの時も、
「仲間はずれが無理やり組まされた班」
に編入される始末です。

正直に言って、
思い出したい記憶は一切ありません。

登校拒否にならなった事が奇跡だと思います。

取り立ててやる事もなかったので、
アニメを見たり勉強して過ごしてました。

エヴァンゲリオンが流行ったのもその頃で、
録画して狂ったように見てました。

ただ、
やりたい事もなかったので、
勉強する時間はたくさんありました。

「地味で目立たないけど勉強はそこそこできる」
そんな生徒でした。

3年置きに引っ越しをするという、
地獄の時を経てきましたが、
中学以降は引越はありませんでした。

やる事もなく、
とりあえず勉強だけをしていた私は、
その地域で一番の進学校の高校でした。

田舎のその地域で一番ではありますが、
全国的には全くの無名高校ですけどね(笑)

そこは男子校でした。

よく言えば大人びた校風、
悪く言えば冷めた校風の高校でした。

そんか感じなので
不良生徒はいませんでした。

そのため過ごしやすく、
仲のいい友達も少しずつできてきました。

ただ、そこは田舎の男子校。
近所の女子高との交流も全くなく、
「一週間で話した異性は母と妹」
という、今では考えられない環境でした(笑)

それまでが極度の人見知りだったので、
「男子高校」という閉ざされた環境では
のびのび過ごせました。

先輩の誘いで生徒会に入ってみたり、
友人の誘いで廃部寸前の演劇部を手伝ったりと、
そこそこ充実してました。

女性との関わりは一切ありませんでしたが、
それなりに充実していました。

「特にやりたい事もないから勉強していた」
と言うのは中学時代と同じで、
まずまずの成績ではありました。

そして、高校卒業し、
東京の私立大学に入りました。

大学に入学した私は、
「大学デビュー」を試みます。

ブレイクしてやるぜ!と思いました。

ま、その夢は数日で潰えるのですが・・・。

大学へ入ったら演劇サークルへ
入ろうと思っていました。

高校時代に演劇部の手伝いをしている内に、
演劇に魅力を感じたからです。

しかし、
いざ大学に入って演劇サークルを探してみても、
「これだ」と思えるサークルが見つからない・・・。

そんな中、
入学式でたまたま知り合った友人に
誘われたのがダンスサークルです。

人見知りのコミュ障がいきなりダンス

それまでダンスとは
無縁の生活をしていましたが、
見学会で完全にダンスの虜となりました。

「演劇なんてやってる場合ではない!」
と完全に思い込みました。

「ダンスがあれば何もいらない!」
と思い込み、
日夜浸食を忘れて踊り狂っていました。

そして大学生活のほとんどを
ダンスにささげる事となります。

授業にはロクに出ず、
「バイト⇒ダンス⇒バイト⇒ダンス」
というサイクルを繰り返す、
ダメ大学生へとなりました。

「ダンスこそが自分の人生だ!」
とダンスに没頭し、
ダンスでプロになる事まで考えました。

しかし現実は残酷なものです。
生来運動神経のない私が、
プロダンサーになれる訳もなく、
普通に就職する事になりまた。

ところが、
当時はいわゆる「就職氷河期」、
就職先なんて簡単には見つかりません。

エントリーシートを
100社以上に送りました。

全く内定がもらえない中、
1社だけ内定をくれる会社がありました。

内定をくれた某金融機関に入社するのですが、
そこは超えたブラック企業でした。。。

営業部に配属されはしたものの、
何も分からない新人に
面倒な取引先を押し付け、
更には「新規顧客も開拓しろ!」
という無謀な要求。

通勤電車で本当に涙が
止まらなかった事もありました

毎日泣きながら働いたものの、
3年後には鬱を発症し退職しました。

再就職のアテもないまま、
退職をしました。

就職活動もせず、
毎日テレビを見て過ごしました。

心を支えてくれた女性の存在

ブラック会社を辞める数週間前、
同僚が開いてくれた合コンで
たまたま仲良くなれた女性がいました。

優子ちゃんです。

その合コンでも、コミュ障の私は
もちろん誰とも連絡先を交換できませんでしたが、
幹事の友達が気を回してくれて、
優子ちゃんに私の連絡先を教えたのです。

優子ちゃんと何回か会う内に、
付き合うことになりました。

付き合うようになった当時の私は、
ブラック企業を退職していて完全な無職。

再就職の当てもなく無職でひきこもりの私にも
優子ちゃんは優しくしてくれました。

「早く就職しなよ!」などとは一切言わず、
頼りなくて不甲斐ない私を
暖かく見守ってくれました。

ブラック企業で病んだ鬱も治らず、
大したキャリアもない私は
一年近く無職の引きこもりを続けました。

ベンチャー企業への転職、そして結婚

無職の引きこもりを続けてたある日、
ブラック企業にいた時の元上司から
飲み会の誘いがありました。

元上司もブラック企業は退職し
新しい会社にいたのですが、
その会社の飲み会に誘ってくれました。

私はその飲み会で、
新しい就職先へのご縁をいただきました。

その飲み会にいた元上司の下で働く50代の女性が
「甥がベンチャー企業を立ち上げて、
営業経験者を探しているから会ってみないか?」
と言ってくれたのです。

まさに恵みの雨でした。
私は一にも二にもなく、
そのベンチャー企業の社長に会いに行きました。

そこで、
履歴書を渡すとまさかの奇跡が起こります。

そのベンチャー企業の社長も
私と同じ大学の出身だったのです。

トントン拍子に入社が決まり、
私はその会社のネット通販部門に
配属になりました。

と言っても、
先輩(課長)、事務の女の子2人、私、
の計4人の小さい部署です。

その通販部門では、
メインはパソコンと家電でした。

そして半年後、同じ部署の先輩が
社長とケンカして退職する事になり、
後任として私がネット通販部門の
課長になる事になりました。

当時はネット通販の黎明期。

Amazonや楽天など、ネット通販の規模が
ドンドン増えていた時期なので、
私の部署の売上はものすごい勢いで増えました。

気がつけば部下も10人に増えました。
売上も私が入社した時の
10倍にもなりました。

会社の業績も安定しているし、
結婚を考えるようになりました。

もちろん、
以前から付き合っていた優子ちゃんとです。

そして、
結婚を決意しプロポーズをし、
優子ちゃんとめでたく結婚をしました。

優子ちゃんが私の嫁さんになりました。

結婚式はとても楽しいので、
一度は経験することをオススメします(笑)

私の実家は地方、
優子ちゃんの実家は都内。

そんな事情もあり、
優子ちゃんの実家のすぐ近所に
住むことにしました。

会社のネット通販の売上も順風満帆。
2年が経過した頃にふと思いました。

「自分もネット通販で起業できるのでは?」

当時の社長の年収が5000万円。
私の年収は300万円。

「起業して俺もバリバリ稼ぐぞ!!」
と思い、独立起業しました。

本当は起業するのに、
当時の会社の社長には
「転職します」と嘘をつきました。

嫁(優子ちゃん)のお母さんには
起業を反対されましたが、
稼げる自信があったので反対を押し切りました。
(それがよくなかったのですが、後述)

そして、私は、
ネット通販のサイトを作って
独立3ヶ月目に売上1000万円になりました。

その時も商品としては、
パソコンがメインでした。

このまま稼ぎ続けられると思った矢先、
まさかの事態が起こります。

前職の社長に起業がバレて、
私の通販サイトはあえなく潰されました。

前職の社長が、
私の仕入先に「堀井と取引するな」
と圧力をかけたのです。

その結果、
次々と取引を打ち切られました。

3ヶ月目で売上1000万円を超えたビジネスが
4ヶ月目には0円になりました。

悲惨な状況でした。

とは言え、
奥さんもいるので稼がないといけません。

パソコンのネット販売に
詳しくなっていたので
パソコンを転売して稼ぐ事にしました。

ネット通販業界にいたら分かりますが
転売はかなり儲かるのです。

ネット通販の経験のおかげで
転売ビジネスはすぐに
利益を生み出しました。

Amazon、
楽天、
ヤフオク、
ebay、
価格com、
など、
全てのサイトで
パソコンを転売しました。

月5-10万円の小遣い程度でよければ、
パソコンの転売で秒殺で稼げます。
それくらい簡単です。

その後、カメラ転売と出会うのですが、
詳細は「第1回講義」をご覧ください。
↓第1回講義↓
https://note.com/kigyofukugyo/n/n873511d5f11e

破局を迎える結婚生活

カメラ転売は安定的に稼げるので
収入には困らなくなりなした。

稼ぎも安定し、
「充実した結婚生活!」
のはずでしたが現実は違いました。

優子ちゃんと結婚し、
「仲睦まじく、幸せに満ちた結婚生活!」
と思いましたが、

現実はそううまくは行きませんでした。

起業後から優子ちゃんのお母さんが、
掌を返したように豹変したのです。

優子ちゃんのお父さんは
有名企業のエリートサラリーマン。

優子ちゃんのお母さんから見た私は、
稼いでるとは言え、肩書は自営業。

「大企業こそ全て」という
古い考え方のお母さんから見たら
自営業=不安定、という思想。

「大企業こそ安心」という
昭和の価値観の人でした。

優子ちゃんのお母さんが、
「うちの娘を養えるのか」
「大企業に入り直せ」
など、
私をけなしはじめたのです。

もちろん優子ちゃんがいない所でです。

結婚したからの新居は、
優子ちゃんの実家の近くでした。

優子ちゃんの実家に行く度に、
「優子ちゃんのお母さんが私を責める」
という事態になりました。

もちろん、
優子ちゃんがいない時です。

私はお母さんから責められてる事を
優子ちゃんに言えませんでした。

どれだけ責められても、
どれだけ侮辱されても
優子ちゃんにはその事実を
言いませんでした。

今から考えると、
相当なストレスが
私に溜まっていたのでしょう。

ある日、
飲み会で酔った私は、
溜まりに溜まった怒りをぶつけました。

優子ちゃんのお母さんには
直接言えなかった怒りを、
優子ちゃんにぶつけました。

いや、それを超えて、
優子ちゃんを罵りました。
口汚く罵りました。

しまいには、
私は優子ちゃんを怒鳴ってました。

私は泣きながら優子ちゃんを怒鳴ってました。

もちろん優子ちゃんは泣きました。
ありえないくらい声をあげて
優子ちゃん は泣きました。

それまで優子ちゃんとは
ケンカらしいケンカは
したことありませんでした。

そんな関係だったのに、
私が突然怒り狂って
怒鳴り出したのです。

優子ちゃんの動揺は当然です。

それから2人の関係は、
おかしくなりました。

優子ちゃんは私に怯えるあまり、
私とまともに口が聞けなくなりました。

優子ちゃんは私の顔色を伺いながら
私と接するようになりました。

そんな優子ちゃんの態度に対して、
優子ちゃんのお母さんから受けた仕打ちの
復讐をするようになりました。

優子ちゃんのお母さんに対する怒りを、
優子ちゃん自身にぶつけました。

ここからは悪循環に継ぐ、悪循環です。

優子ちゃんのお母さんは、
娘の異常を察して私に対して
今まで以上に強く当たります。

私は優子ちゃんが反論しないのをいい事に、
優子ちゃんのお母さんから受けた暴言を
倍以上にして優子ちゃんにぶつけます。

もう完全に崩壊してました。

夫婦なのに会話らしい会話は全くなく、
そこに存在するのはストレスだけでした。

それでも優しい優子ちゃんは、
自分のストレスを私にぶつける事なく、
今まで通り家事を完璧にこなし、
ご飯も作ってくれました。

(優子ちゃんのお母さんは、
性格は置いといて料理はプロレベルでした)

酔った勢いで怒りをブチまた私とは違い、
優子ちゃんはストレスを溜め込んでました。
優子ちゃんは相当我慢していたんだと思います。

ある日突然、
優子ちゃんは家からいなくなりました。

仕事から帰って家に着くと、
ドアの鍵が空いていませんでした。

それまでは私より優子ちゃんが
遅く帰ることはありませんでした。

「家に帰ってドアの鍵が開いていない」
という事は一度もありませんでした。

あの時の、
空かなかったドアの感触を
私は今でも覚えています。

「何かがおかしい」
そう思いました。

そして、
「完全に終わった」
と気がつきました。

優子ちゃんは実家に帰っていました。

そして、
私の暴虐を全て家族に伝えていました。

その翌日から、
2LDKでの私の一人暮らしが始まりました。

私が会社に行ってる間に、
少し、また少し、優子ちゃんの
私物が減って行きました。

私と優子ちゃんの関係が
終了しつつあることは自明の理でした。

そして更に、
もう一度やり直すほどの気力が
私にはありませんでした。

不幸中の幸いと言うか、
私と優子ちゃんの間には
子供が生まれませんでした。

夫婦生活として3年近く過ごしていましたが、
子供はいませんでした。

程なくして、
離婚届が同封された封書が送られてきました。

復縁したい気持ちも気力もない私は、
署名と印を押して返送しました。

離婚届にも保証人欄があるのですが、
優子ちゃんの親戚が署名したそうです。

離婚後もカメラ転売で
稼いではいましたが、
女性に対する怒りが湧いてきました。

僕を責めた優子ちゃんの母、
怒りを突然爆発させた優子ちゃん、
「理不尽だ!」と怒りが湧いてきました。

今から考えると、
「ただのメンヘラ野郎」なんですが、
その時は、それが正直な感情でした。

ただ病んでただけなんですが、
「世の中の女は全て俺の敵だ」
と思っていました。

そこで何を始めたかというと
「ナンパ」です。

30才を超えて、
ストリートナンパを始めました。

今から思うと完全に病んでます。
ただのメンヘラですね(笑)

女性読者もいるので、
ナンパについて詳しい話は割愛しますが、
男性読者で興味がある方がいましたら
教えます、ストリートナンパ(笑)

カメラ転売の記事でもお話した通り、
「熱血先生」に教わって稼げるようになったので
ストリートナンパも先生を探しました。

カメラ転売であれ、
ナンパであれ、
「正しいノウハウ」通りにやれば、
何でも上手く行くのです。

その時に有名だった竹内さんとロウさんに
ナンパを教わったのですが、
意外な事態が起こります。

ナンパを教わるはずが、
なぜか「ネットビジネス」を
やらされたのです。

今から思うと、
私にメルマガやブログを書かせて
自分のナンパ講習の受講者を
増やしたい魂胆だったと思います。

とは言え、
ネットビジネスを学んで、
・メルマガの書き方
・ネット集客の方法
・ネットで稼ぐ方法
を叩き込まれました。

そして、ナンパを習うつもりが、
ネットビジネスをマスターしていました。

ナンパの成功率も上がりましたが、
ネットビジネスで稼ぐ方法も
マスターしていました。

・カメラ転売で稼げる
・ネットビジネスで稼げる
2つの武器を手に入れて、
収入は面白いように増えました。

ビジネスで稼いでナンパで金を使う。
正直に言って、毎日楽しかったです(笑)

いくらお金を使っても、
また稼げばいいのでお金には困りません。

やはり、収入源が複数あると
面白いようにお金が増えます。

3年で2000万円が貯まりました。

思う存分にお金が使えるので、
贅沢を沢山しました。

5つ星ホテルのクラブフロアに
1泊20万で泊まったり、
外食で1食何十万も使ったり、
湯水のように金を使いました。

「俺にできない事はないぜ!」
と完全に天狗状態でした。

ちょうどその頃、
ナンパの先生(竹内さんロウさん)が
「面倒だからお前がナンパを教えて」
と言い出し、ナンパの先生もしました。

「ナンパの先生」というスキルも増えました。
「ナンパの先生って何だよ!」って感じですが(笑)

・カメラ転売で稼ぐ
・ネットビジネスで稼ぐ
・ナンパの先生で稼ぐ
また収入源が増えました。

そして、
ストリートナンパを教えてると、
ある事に気が付きました。

「受講生は、だいたい金がない」

そこで考えたのは、
「カメラ転売を教えて稼がせよう」
でした。

『カネがないなら稼ぐ方法を教える、
で、その分も受講料をもらおう!』
カメラ転売を教えるスタートです。

その時の弟子1号が織田さんです。
↓織田さんのブログ↓
https://www.sedorinanpa.black/

・カメラ転売で稼ぐ
・ネットビジネスで稼ぐ
・ナンパの先生で稼ぐ
・カメラ転売の先生で稼ぐ
収入源がドンドン増えて、
貯金は右肩上がりでした。

ちなみに、
弟子1号の織田さんが参加した時は
生徒は「織田さんただ1人」という状況。

まるで田舎の小学校のようでした。
60人を超えるメンバーがいますが、
当初は生徒1人から始まってます。

これは2014年の話ですから、
随分と前の事です。
カメラ転売の先生としては、
キャリアは日本で一番だと思います。

嫌味な言い方かもしれませんが、
金に困らなくなったものの、
贅沢にも飽きてきました。

「人間は何でも慣れると飽きる」
という事のようです。

「金持ち気取りしてるのもダセーな」
とも思うようになり、
目標を見失いかけてた頃、
意外な事態が起こります。

弟子1号の織田さんの
月収が100万円を超えました。

織田さん月収100万の詳細は、
織田さんのブログのどこかに
書いてあると思うので探して下さい。
↓織田さんのブログ↓
https://www.sedorinanpa.black/

月収100万を超えた織田さんが、
その翌月に飲みに誘ってきました。

「稼げるようになってよかったねー」
なんて話をしていたら、
織田さんが封筒を渡してきました。

その封筒の中身は
現金50万円でした。

「え?何コレ?」
と思ったら、織田さんが、
「稼げるようになったお礼です!」
と言ったのです。

「俺に50万円をくれ!」
なんて一言も言っていません。

自主的に、お礼として、
50万円をくれました。

織田さんは、こうも言いました。
「俺の人生が変わったのは、ほりさんのおかげです」
「人生が変わったのに、50万なんて少額ですみません」

50万円が嬉しいのもありますが、
それ以上に「人の人生を変えた」
という事が心の底から嬉しく感じました。

カメラ転売を始める前の織田さんは、
手取り16万円のサラリーマン。

織田さんの月収は6倍以上になったのです。
貧乏サラリーマンから100万プレーヤーへ。

織田さんの人生は、
お金に困らないようになったのです。

また、私としても、「金持ちごっこ」
にも飽きてきた時です。

「自分は誰かの人生を変えられる」
という事が本当に嬉しく感じました。

金で買えるものは沢山るけど、
「信頼」は買えない。

イヌイットの格言に、
「子供に魚を与えるな、魚の釣り方を教えろ」
という言葉があります。

意味は、
「子供が親なしでも生きていけるように育てる」
という事です。

魚(お金)をあげるのではなく、
魚(お金)の取り方を教える。

お金をあげて誰かの人生を
変える事はできるかも知れない。

でも、それは本質的じゃない。

「自分で稼ぐ力を身につける」
その方が何倍も重要。

さらに言えば、
「稼げるようになったのは、
私(堀井)が教えたから」
となるなら、私も嬉しい。

金稼ぎも楽しいですが、
誰かの人生を変える事の方が、
何倍も嬉しい。

なぜならば、
「他の誰でもない俺が教えたから」
そんな素敵な事はない!

そして、弟子1号の織田さんが
稼げるようになっただけでなく、

私が稼ぎ方を教えた人が
続々と稼げるようになりました。

例えば、コツ子さん。
↓コツ子さんのブログ↓
http://ponkotsuko.com/

コツ子さんは、
秋田の田舎から一念発起して
上京したけど変なビジネスに
騙されて100万の借金。

私が、
「お前は本当にポンコツだなぁ」
と言っていたら、
ポンコツ子としてブログを書き始めました(笑)

コツ子さんは、
カメラで稼ぐ元手資金もないので
最初はホテルの受付の仕事と並行して
カメラ転売をスタート。

怪しいビジネスに騙されるような
ポンコツでしたが根性はありました。

ホテルの受付は24時間勤務。
昼12時から翌日昼12時まで仕事。

そして、
寝ないでカメラの買付に回ってました。

ポンコツ田舎娘が、
どうして稼げるようになったかは、
コツ子さんのブログを読んで下さい。
↓コツ子さんのブログ↓
http://ponkotsuko.com/

次に紹介するのは、
ゴトウさんです。

ゴトウさんは、
元々はニート。

ゴトウさんは、
親のスネをかじって生きる
ダメな人間でした。

しかし、
スネをかじる生活も長くは続かず、
お父さんが大病を患ってしまい、
自分で稼がなければならなくなりました。

人間は切羽詰まると頑張るようです。

お父さんの手術費を稼がなければ、
手術ができず見殺しになる。

元ニートとは思えない努力をして、
カメラ転売で稼げるようになりました。

元ニートでも稼げるんですから、
あなたも必ず稼げます。



なぜ私が教えた受講生は
稼げてしまうのか?

それは、
「隠さず全部を教えてるから」
です。

そして、
稼ぎ方だけではなく、
「お金の基本」を教えてます。

学校教育だと絶対に教えてくれない
「お金の基本」を教えてます。

だからこそ、
稼げるようになる。

ただ稼げるだけじゃなくて、
「お金」について知る事ができる。

「お金の基本」を話すと
長くなるのでまだ次回にしますが。

お金持ちは、お人持ち

さて、
お金には困らなくなって
気づいた事があります。

・お金って何だろう?
・どうしたら稼げるんだろう?
・お金ってどこから来るんだろう?

金と時間は売るほどあるので、
「本質」って何だろう?
と考えてみました。

そして気づいた事があります。

それは、
「お金持ちは、お人持ち」
という事です。

どういう事なのか?

一言でいえば、
「金の出どころは『人』以外にない」
という事です。

カメラ転売で言えば、
買って下さる『人』がいるから
お金を得られる。

不動産投資だとしても、
借りて下さる『人』がいるから
お金を得られる。

パチコンやギャンブルでも、
負けてくれた『人』がいるから
お金を得られる。

株式投資でも、
投資先の『人』が働くから
お金を得られる。

FXでも一緒です、
負けて損する『人』がいるから
お金を得られる。

私は「お金稼ぎの先生」をしてますが、
受講生という『人』がいるから、
お金を得られる。

つまり、
「(お金を出す)人がどこにいるか?」
さえ分かれば、一生お金に困りません。

『お金を稼ごう!』の前に、
『どこに人がいるか?』が重要。

逆に言えば、
人さえいれば一生お金に困らない。

変な言い方かもしれませんが、
私は無一文になっても
金に困る事はありません。

それは、どういう事か??

「織田さん!無一文になったから助けて!」
「コツ子さん!無一文になったから助けて!」
「ゴトウさん!無一文になったから助けて!」
(以下、メンバー分)

と言えば、
助けて下さる方が数十人もいるからです。

これは、ある意味で、
お金を持ってる以上に重要です。

私が一生お金に困らないのは、
お金持ちである以上、
お人持ちだから
です。

その代わり、
コミュニティメンバーになった方には
私の知識スキルをフル動員して
稼ぎ方を教えています。

次は、あなたの番です!

ここまでお読みくださり、
本当にありがとうございます!

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