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記号カラダとわたし その2

DNAがつなぐもの

子どもの頃
お正月、お花見、夏休みのラジオ体操、盆踊り、秋祭り、運動会、、、、
親戚・ご近所が集まるイベントの時わたしは憂鬱だった
大人たちは大酒のんでどんちゃん騒ぎ
そこではいつもうちの父親はアイドル的存在だったからだ
変なお面をかぶり、これまたアフリカンダンスとも盆踊りともいえない
奇妙な踊りをおどる
または両の鼻の穴に割り箸を割って差し込み、顔にはマジックで太いまゆと
濃いひげづらをかく
どじょうすくいだ
ちょんまげのかつらや刀、裃(かみしも)も持ってた
女形になって、真っ赤な口紅ぬって
よっぱらいのおっちゃんたちにセクシーにからみながらお酌もしてた

そんなだから、うちで宴があるとみんなちっとも帰らない
夜遅くなると母親と2人で家の奥の四畳半の部屋で、ほうきを
さかさに立てて、うちわをあおいでた
(来客が早く帰るようにとのおまじないだったらしい)

自分の父親が人様に大笑いされる様は子どもにとっては
バカにされたような屈辱でしかなかった
穴があったら入りたいなんともいえない気持ち
どうしてアカの他人に父親が大笑いされるのか意味がわからなかった
お父さんがたくさんのひととお酒をのむときは大嫌い
心底やめてほしかった

そんな父親もだんだん歳をとり、お酒もほとんどのめなくなった頃
肝臓ガンが見つかる
闘病生活5年、あっけなく宙へいってしまった
驚いたのはお通夜とお葬式
会場に入りきれないほどの弔問客、見たことのない会ったことのない
人たちが人づたいに聞いたと言って泣きながら来てくださった
初七日が終わってもそんな方々がわざわざ自宅までお線香をあげにきてくださった。
その頃のわたしは大学生だったから
父親が人を笑わせていたことが、こんなにもみんなから愛されていたことだったのかを知る

うり二つ

それから数年が経ち、わたしはダンスと出会う
初めて立った舞台に母親と親戚のおばちゃんが観にきてくれた
終演後に挨拶にきた叔母は大泣きしていた
母親も泣いていた
ステージの上でライトを浴びて楽しそうに踊る私の背中から
アゴのラインにかけて、まるで父親が踊っていた時とうり二つだったという
「武人さんはゆっこの中におるね」っていってた
そこで初めてわたしはいまの自分がやっていることは、父親が酒の席で
みんなを大笑いさせていたことと同じだと気づく
わたしが踊るのはみんなと一緒に大馬鹿やって大笑いしてみんなの
笑顔がみたいから
ただそれだけ
ああ父さんもこの気持ちでいつもみんなの前で踊っていたんやなぁと
今頃気づいた
父親に素直に向き合えず、亡くなるまでどこか距離があったけど
今は自分のなかに一緒にいるんだと思う
いつも一緒に踊ってる

誰の人生もそれぞれがドラマだ
わたしと父親のストーリーだってこうやって言葉にすればなんだか
かっこいいけど
でもこれは真実だ
そして前よりもっとわたしは父親のことが大好きだ


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