疒日記10 右手

いよいよつらくなってきたな、という実感がある。つまり、あられもない言い方になるが、死にたい。そろそろ死にたい。

ただ、死ぬということが結局何なのかを我々は知ることができないし、ならばそれを望むというのもへんな話ではある。だから、こういい直してもいいだろう。もうそんなに生きていたくない。それほど生きていたいと思わない、と。

決定的だったのは右手の麻痺かもしれない。それは先週末から突然始まった。横浜まで小旅行をしたときだ。旅行出発前日、病院を一時退院し自宅に戻ったのだが、このとき既に予兆はあった。微妙に自由が効かない感じがしていた。グー・チョキ・パーと指先を動かしていった時、グーでしっかり握り込めない、パーで開ききれない。

そしてその数日後、チョキを作れなくなっていた。下半身のときと同じだ。病の進行は常に着実でスピーディなのだ。どんなに親指を動かそうとしても、薬指まで届かない。せいぜい中指をかすめる程度、それくらいまで可動範囲が狭まっているのだった。当然、ペンを握っても箸を持っても満足に動かすことができない。物を描けないのはもちろん、食事もふつうにとれなくなる未来を想像して落ち込む。

ここまで落ち込むか、と思うほどに落ち込んだ。利き腕の自由は僕にとってそれほどまでに大事なことだったらしい。確かに振り返ってみれば、いつも右手にペンを持ち何かしらメモをしていた。たいていは益体もないラクガキのようなものだったけど、その内容は別として、ペンを帳面の上にキコキコと走らせる、その運動じたいが好きだったのかもしれない。輪郭の内側を埋め尽くしていこうとするハッチングの運動。もう望むべくもない。そして食事。生き物としてあるための最初の行為といえる。なのに箸が持てない。いや、持つことはまだギリギリいけそうだが、満足に操ることはもうできない。スプーンやフォークも同様、微細な操作はもうできない。

その他、利き腕にまかせていた、沢山のあれこれの操作ができなくなった。予想外のところでは、読書に難が生じている。右手はもちろん、両の手でも本を支えて持つことができない。それくらい握力が衰えている。仕方なく、左手だけで本を抑えて読もうとしているが、なかなか不便だ。

しかし、だからといって、死にたい、というのも性急な話だ。いくらなんでもそりゃないだろうという気が、ここまで文章を書いてみたところで、してきた。つまり、逆に言うと、文章を書き始める前までは、ほんとうに死にたいと思っていた。だから文章を書いてよかった。すこしは気持ちに整理ができたようだ。

もちろん、今もそういう気持ちが少なからずある。全ては消せない。

これ以上生きていても仕方ない……という、それほどウェットではない、乾燥気味のドライな感覚だ。しかし、なぜ今まではそう思わずにいられたのだろうか。なぜ生きていくことに肯定的であれたのだろうか。食事をしたり、メモを描くことが生きることへの肯定にダイレクトに結ばれていたのだろうか。それをもう少し考えたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?