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赤裸々過ぎるDJ松永さんの文章が胸に響きすぎた日

今日は「せ」の日。
毎日あいうえお順に記事と写真を投稿しています。
写真はせんべい汁。いつかのお土産でいただいたものです。美味しいですよね、せんべい汁。文章とは全く関係ありません。今日は


赤裸々過ぎるDJ松永さんの文章が胸に響きすぎた日

です。

文學界という文芸誌に現在松永さんが連載中のミックス・テープ
今日、本屋で棚を覗いたら、文學界が置いてあったので、購入してきました。

普段は文芸誌など、自分とは全く関係ない世界のモノのように感じ、手に取ることがありませんが、第一回のミックス・テープがWEBで全文公開されているのを読んで、とても心を打たれ続きが気になるようになったのです。

DJ松永さんのユニットCreepy Nutsのライブはまだ映像でしか観たことがないため、現時点での私の松永さんに関する情報は、音源以外では主にラジオ、たまにテレビ、あとはインスタとTwitterから得たものです。

とりわけラジオは、オールナイトニッポン0と、ACTIONを毎回radikoでタイムフリーしているのですが、いつもトークのテンポや、言葉選びのセンスの良さに加え、端々に溢れる弱いものへ慈しみも感じさせます。

DJという職業柄、何を選ぶか、どのタイミングで使うか、という判断にかけては、考えるというより反射的に身体が行っているのかもしれません。

松永さんについて、私が描いている人物像を一言で言うと≪常軌を逸した自意識過剰≫です。

ラジオを聴いていると、松永さんは「恥ずかしい」という言葉を頻繁に使うのですが、自分の中の「恥」の基準から外れた言動をしないよう、途轍もないほど細心の注意を払って、人生を送っている方なのではないかと勝手に想像するのです。

たりないふたりという曲の中で「松永デリカシーが無い」と言われるだけあって、ちょいちょい、ぎょっとするような発言もありますが、痛みを知らなければ絶対に出来ないような温かいトークもたくさん聴けます。

私にはそれが単なる人の良さから来ているものとは少し違うように思えてなりませんでした。

でも、ミックス・テープを読んでいるうちに、その理由がわかってきたような気がします。

自尊心を打ち砕かれるような経験を重ね、自分の弱さや情けなさに深く向き合ってきたからこそ、弱った人にかけるべきでない言葉を知り尽くし、心に深く寄り添うような言葉が出るのではないかと思うのです。

自分の生きる道に出会い、成功を手にした今も変わらない、常軌を逸した自意識過剰さは、恥を判断基準とした一種のダンディズムだといえます。

そんな松永さんが、自分が過去にしてしまった、消すことの出来ない恥ずかしい言動を思い出すだけでも叫びだしたくなりそうなのに、人に読ませる文章に仕上げていく作業は、随分キツかったのではないかと思います。

でも、そこまで語られているからこそ、胸に響き、とても魅力的な文章となっているのでした。

早く来月号出ないかな。

それではまた明日。

いただいたサポートを何に使ったか詳細なレポートします。