距離感とおれとあなたとだれかとなにか

この1ヶ月、人と接することが多くて少し気疲れしている気がしないでもない。
現に昨日約1年ぶりに体調を崩した。
別に話すことは嫌いじゃないので良いんだけど、長期休みはほぼ家にいることが多いハイパーインドア人間の自分にとっては多くもエネルギーを消費しているとも言える。

それと共に、人との関係の在り方とかも考えるようになった。
俺は中学時代にクラスからハミゴ(関西弁で"仲間はずれ"とか"のけもの"みたいな意味です)にされていたり、そもそも人との距離感を測るのがあまり得意じゃないので、極力近づきすぎないようによそよそしいと思われても構わないので、馴れ馴れしくならないように人と接することを大きな柱として生活をしてきた。
その生活に苦労は特にないし、人に嫌われたくない自分にとっては何よりもそれが一番楽だった。

「個人とのコミュニケーションに慣れると途端に馴れ馴れしくなるので、それは極力避けよう。」

人と接する時にずっとそれを心がけていたし、馴れ馴れしくなった人から俺の元からスーッといなくなっていった気がする。
俺からいなくなったのかもしれないけど、それは正直俺にもわからない。

仲が良くなった人が1人また1人と疎遠になっていくのがすごく悲しかったからライブハウスでも大学でも、あんまり親しい友人を作らないようにしていた。

そうやって築き上げた俺のパーソナルの壁が最近徐々に崩れているのを感じている。

ライブハウスで友達が出来たり、憧れの人やお偉いさんとお話したりする機会が増えた。

過去の自分なら確実に「めんどくさい事案」のファイルにぶち込んでいるようなことが立て続けに発生している。
しかし俺も就活生。コミュニケーションをめんどくさいと思うことは「かなりヤバいのでは?」と内心思い始めたのだろう。

個人的にこれはかなり喜ばしいことで、自分がまた少しだけ誰かと誰かが繋いでる輪の中に入ろうとしているという意思の表れであり、自分が自らの力で変化を求めているサインでもあると考えている。

シャイで口下手なので、思いを伝えたりすることもそう易々と出来る人間ではないのだけど、憧れの人へは、手紙を認めたりかなりベタな方法と共に思いを伝えれたりした。

以前もnoteに書い気がしないでもないけど、俺は白状なので過去に受けた恩を仇で返したり、優しさを無碍にしたりするかもしれない。
その時はしっかり叱ってください。僕はまだまだ未熟な人間なので。

この一年、色んな人に色んな形でお世話になることだろう。
いままでそうだった人もこれからそうなるであろう人も、何卒よろしくお願いします。

今年は東京にたくさん行きたい。
ずっと怖かった都会にも今は憧れしかない。
とっても良い兆し。

緩やかにそして着実に僕は変わっていきたい。
1年後、これを見返した時にどんな空が見えるだろうか。
今から不安でいっぱいだ。

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